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年次大会
大会報告:第47回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)

 第1部会  6/12 11:00〜13:00 [111教室]

司会:木下 康仁 (立教大学)
1. 看護職-患者関係における看護職の葛藤(1):
患者の「自立」をめぐって
三井 さよ (東京大学)
2. 看護職―患者関係における看護職の葛藤(2):
個別主義と普遍主義
崎山 治男 (東京大学)
3. 臓器移植法案作成までのプロセス 加藤 英一 (慶應義塾大学)

報告概要 木下 康仁 (立教大学)
第1報告

看護職-患者関係における看護職の葛藤(1):
患者の「自立」をめぐって

三井 さよ (東京大学)

 看護という専門領域は「ケア」という概念で表されることが多いが、その意味内容はあまり明確にはされてこなかった。本報告では、実証研究の知見から看護におけるケアが患者の「自立」を目指す営みであると捉えることにする。患者は、発病や病状の悪化によってそれまでの生活を続けられなくなった状態から、自分たちの生活を自分たち自身でコントロールしようとするのが「自立」である。看護職が考えるケアは、療養中の日常生活の世話を通して、患者自身とともに患者の「自立」を実現していくための働きかけである。だが、「自立」が具体的にどのような内容になるかは患者にも看護職にも不明である。またある患者の状態が「自立」と判断されても、振り子状に揺り戻されることは決して少なくない。そのため、看護職の働きかけは、看護過程の個々の段階で看護職独自の観点と判断によって行われているが、それが妥当かどうかは、患者自身の反応、あるいはそれに対する判断から、繰り返し修正されることになる。そのため、個々の看護職は患者の「自立」を目指す働きかけの中で、自らの判断や働きかけの妥当性・意義について常に葛藤を抱え続けなくてはならない。本報告では、患者の「自立」をめぐる、看護職内部の、あるいは看護職-患者間の葛藤を分析することで、患者の「自立」がいかにして達成されていくのか、その方向性を探ることが目指される。

第2報告

看護職―患者関係における看護職の葛藤(2):
個別主義と普遍主義

崎山 治男 (東京大学)

 本報告では、看護職が患者との相互行為過程の中で直面する葛藤を、ケアのあり方に内在する個別主義的な患者への対応のあり方と、普遍主義的なそれとの葛藤と捉え、その分析を試みる。ここで述べる個別主義的な対応とは、自らが担当する患者に関わっていく中で、患者の内面、感情にまで配慮する中で双方の間にラポールを形成し、個別の患者との親密化を図るというベクトルを指す。普遍主義的な対応とは、例えばパーソンズが医療従事者の要件として語る、全ての患者に対して平等に接して行くベクトルを指す。看護職側にとっては、個別主義的な対応を行う中で、自らが「本来」の看護と捉える看護を行うことが可能になる。しかし、それが普遍主義的な対応として求められているあり方を侵犯することは、医療という空間における看護職―患者関係を不安定化させることに繋がる。

 本報告では、実証調査で得られた知見から、上述したような相対立する契機を看護職が直面する葛藤と捉え、それが現象するあり方、並びに葛藤への対処のあり方を、主に感情社会学の概念を用いて分析する。更に、先の報告で指摘した葛藤と合わせ、双方の葛藤が看護職へと帰責されるあり方を分析すると共に、「患者中心の看護」へと転換しつつある医療現場における、葛藤に対する組織的な対応のあり方を分析する。両報告を通して、今後の医療における、看護職・患者双方の「望ましい」あり方を提起することが目指される。

第3報告

臓器移植法案作成までのプロセス

加藤 英一 (慶應義塾大学)

 1997年6月に「臓器の移植に関する法律」が国会で成立した。この法律は、脳死を巡って人間の死生観にまで関わるものであった。国会でもこの点を考慮し、各党は投票に関して、党議拘束を外すこととした。また法案に関しても、対案が提出され、脳死に関する2つの立場(脳死=人の死と脳死≠人の死)が、その中心的な議論とされることになったのである。

 この法案が議員立法として国会に提出されたのは、1994年4月であった。その中では、脳死は人の死とされていたのである。それではこのような内容を含んだ法案は、如何にして作成されることになったのであろうか?本報告の目的は、このような法案がどのようなプロセスを経て、国会に提出されることになったのか、を明らかにすることにある。

 そこで本法案が作成されるまでを時系列で捉え、そこでの経緯を幾つかのPHASEに分けていく。その時代における主な課題は何であったのか、その課題を担っていたのは誰(如何なる集団)であったのか、を明らかにする。その上で、それらが相互にどのような関係にあったのかを見ていく。このようなプロセスを経ることで今日あるような脳死・臓器移植の問題が如何に構築されていったのか、そしてその中で法案がどのように作成されていったのか、を明らかにする。

報告概要

木下 康仁 (立教大学)

 第一部会は三報告からなり、うち二つは関連報告であった。「看護職-患者関係における看護職の葛藤」に関し、第一報告が「・患者の『自立』をめぐって」、第二報告が「・個別主義と普遍主義」についてであった。第三報告の題目は「臓器移植法案作成までのプロセス」であった。

 第一、第二報告は病床数500床以上の地域中核病院における15名の看護職を対象とする聞き取り調査に基づき、第一報告は看護職の直面する葛藤を “ケアという職務の内容ゆえに必要となる患者の意思の尊重と、看護職が専門職であるがゆえにもたらされる看護職側の自律的判断とが引き起こす” ものと捉え、患者の自立に向けて看護職が一方では患者の不安を正面から受けとめながらも、専門職としては自律的判断を試みている点を事例を通して示した。そして、こうした葛藤が看護職の専門性の低さに帰因するかのように一般にも、また看護職自身においても、受けとめがちであるが、実はそこにこそ看護職に独自的な新しい専門性が見いだせる点を強調した。 第二報告は、“ケアという職務の内容ゆえに患者に対して個別主義的に関わらなくてはならないことと、職業としてそれを行うゆえに患者に対して普遍主義的に関わらなくてはならないこととの葛藤”の問題を、感情社会学に依拠しつつターミナルケアにおける事例などを通して論考した。そして、個別主義や普遍主義といった専門職規範の呪縛を克服しうる理論化の方向を提示した。

 両報告とも看護職の専門性を社会学的に確立しようとするものであり、その社会的意義は大きく、かつ、社会学における専門職研究への理論的貢献も期待されるものであった。質疑においては、調査と報告内容との関係、主要概念の定義や用法、事例の解釈などについて議論がなされた。

 第三報告は、臓器移植法案が作成されるまでのプロセスを、社会問題の構築の観点から約30年間にわたり詳細にまとめたものであった。とくに法案作成を当該問題の社会性が認知された証と位置づけ、その認知プロセスの解明を意図する研究であった。分析モデルとして提示されたのは、社会問題におけるStage、社会問題のCategory、社会問題のPhase(H.Blumer)から社会問題構造を捉え、その時系列的変化の解明を意図している。本報告は主な活動主体を9つのStageに区分し、それらが3つのProblem Category(Physical, Normative, Ameliorative)、Blumerのいう5つのPhaseといかなる対応関係にあるのかを示した。そして、時系列的にはPhysical(脳死判定問題)-Normative (脳死問題)-Ameliorative(臓器移植問題)というプロセスを経て、これらの相互関係から社会問題として構築されたことを論じた。

 質疑においては、法案の作成はそれ自体ひとつの立場表明であり、それをもって社会問題としての認知の証と想定するには無理があるという質問があった。この点に関しては報告者と質問者で見解が分かれた。他には、Stageと構造についてそれぞれの意味と両者の関係などの質問があった。

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