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年次大会
大会報告:第47回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第9部会)

 第9部会  6/13 11:00〜13:00 [113教室]

司会:大石 裕 (慶應義塾大学)
1. 戦後史という文脈の中でのテレビメディア経験 浅岡 隆裕 (立教大学)
2. 成功機会の広狭イメージと社会諸意識
−経済意識調査データから−
酒井 計史 (上智大学)
3. 社会的表象としてのサラリーマン
−近代日本人の物語−
高橋 正樹 (東京大学)
4. ミドルクラスの文化的志向 堀内 康史 (上智大学)

報告概要 大石 裕 (慶應義塾大学)
第1報告

戦後史という文脈の中でのテレビメディア経験

浅岡 隆裕 (立教大学)

 戦後テレビメディアの発展につれて、視聴者としての受け手に関する研究は膨大な蓄積がなされてきている。しかしながらそれらの知見は、理論的・規範的なアプローチと実証的なアプローチのいずれかを志向するあまり、社会学的な知見にまで昇華されていないのが現状である。またテレビ視聴が個人的な体験として位置づけられることによって、社会構造との連関がつかみにくくなっていることも確かである。

 テレビというメディア経験を大きな社会変動=戦後史(あるいは文化史・社会的コミュニケーション構造の変化)という文脈に位置づけることが必要ではないだろうか。本報告では、その簡単なデッサンを試みる。

 最初にテレビ放送開始期から現在に至るまでの送り手、受け手双方の変化を概観した後で、それぞれを取り巻く社会的コミュニケーション状況を整理する。さらにマクロ的な社会構造の発現する場としての「家庭」に焦点を当てて、テレビメディア経験の質について検討を進めていく。

 戦後史という文脈に中では、私的欲望の充実が社会的レベルで肯定され、それに対応する形で社会的生産・流通システムが発展してきている。戦後という特異な時代背景を考慮に入れながら、テレビメディアの発展と期を一にした「私生活化」という社会意識の深化と、テレビメディア受容の"入れ子的なメカニズム"の作動について最終的に考察する。

第2報告

成功機会の広狭イメージと社会諸意識
−経済意識調査データから−

酒井 計史 (上智大学)

 自らの所属する社会全体のしくみ・状態を認知・評価(イメージ)することは、人々にとってその社会のなかで生活していくうえで、重要な役割を果たす。例えば、日本が学歴社会であるという認知は、社会的地位を求める人々を学歴の獲得に向かわせるだろう(実際にそうであるかは別にして)。だが、人々はこのような自己利害に係わるものでなくても、第三者として客観的な立場でも、社会全体をイメージしているであろう。本報告は、そうしたイメージを、漠然として意味がないものとして扱うのではなく、それに基づく行動を生み、ひいては社会システムにも影響を及ぼすであろう、という観点をとる。

 本報告では、人々の「成功機会イメージ」を取り上げ、質問紙調査データの分析結果を報告する。第一に、成功者の「割合」の認知と、成功機会の「多い・少ない」という認知とのズレについて検討する。 具体的には、成功者の割合が同じ10%でも、それを「多い」とするか「少ない」とするかといった問題である。当データでは両認知はー貫せず、分散している。この「分散」の意味を検討する。第二に、それらの認知と認知間のズレは、生活志向、特に上昇移動志向とどのような関係にあるか。また、他の社会諸意識(雇用,学歴,競争など)との関係も検討する。なお既に,これら諸意識の楽観的な認知と上昇移動志向との間に正相関があることが見いだされている。当日は具体的な分析結果を中心に報告する。

第3報告

社会的表象としてのサラリーマン
−近代日本人の物語−

高橋 正樹 (東京大学)

 例えば平成不況の現在、終身雇用など日本的経営を前提とした「サラリーマン的なありよう」の是非が話題となる。ではその「サラリーマン」とは何か?を突き詰めると大企業男子正社員など、ごく限られた部分でしかなくなる。なのになぜ、こうも広く注目されるのだろう? それは社会の標準的な生き方のモデルとしてサラリーマン的なあり方が設定されていたからだ。「ブルーカラーのホワイトカラー化」という表現はこの推移を端的に象徴する。ではこの「サラリーマン」及びその変化を、社会経済の変動の単純な反映として、また単純な社会的構築物として、還元説明仕切れるだろうか?例えば、戦前までは身分制とも言われた職員と工員とをまたぐようなモデルとなったことまで説明しきれるものではない。一方でこの呼称の一般化は実態とは離れたイメージを付与されていったことを意味する。サラリーマン研究をより豊かにしていくには、定義を厳格にしてこうした側面を捨象するのではなく、この「社会的表象」としての視角をも合わせ持っていくことが要請されよう。既に従来の立身出世研究の延長や海外の中間層研究においてこうした視点の導入が見られる(Boltansky)。本発表では、社会的表象という視点から日本のサラリーマンについてどのような研究方向が可能かを構想し、現在の志向性を準備したその戦前における一般化への転機について「就職難」と「組合運動」を素材にした考察を試みる。

第4報告

ミドルクラスの文化的志向

堀内 康史 (上智大学)

 本報告では、イギリス、アメリカなどの議論を参考にしながら、日本におけるミドルクラスの文化的志向性について論じる。

 近年、イギリス、アメリカでは、文化的な領域における「ポストモダン」的な傾向が語られるようになってきている。論者によってポストモダンの定義はさまざまであるが、最大公約的にまとめるならば、特定の文化へのこだわりのなさ、と言える。そして、主にイギリスの研究では、このポストモダン的な文化的志向は、ミドルクラスのある特定のカテゴリーにみられるとしている。

 なぜ、このこだわりのなさが重要なのであろうか。これまで欧米では、各社会階層ごとに、それぞれの文化をもつと想定され、その文化的な志向性によってその他の社会階層との差異化を図っていたと考えられている。であるから、こだわりが無いということは、この階層文化のハイアラーキーを切り崩し、さらには社会階層自体のあり方自体を変えるきっかけになるのではないか、という主張が出てきているわけである。

 本稿では、東京郊外で行った調査データをもとに、これらの議論が日本においてどの程度あてはまるのかを検討し、これらの議論のもつ意味を考えて行く。

報告概要

大石 裕 (慶應義塾大学)

 第1報告者である浅岡会員は、「戦後史という文脈の中でのテレビメディア経験―視聴者サイドから―」というテーマで発表を行った。本発表の主たる目的は、日常行為としてのテレビを見るというメディア経験を、戦後史あるいは文化・社会的コミュニケーション構造の変化の文脈から捉え直そうというもであった。そして、戦後に定着した私的欲望の充足に重きを置く社会意識と、家庭内でのテレビメディアの受容の相互増幅関係について、それを「入れ子関係メカニズム」として捉えることの妥当性について考察を行った。

 第2報告者の酒井会員は、「成功機会の広狭イメージと社会諸意識―― 経済意識調査データから――」という発表を行った。本報告では、成功機会の多少、成功割合の大小、に関する認知を中心に実施された社会調査の結果が発表がされた。具体的には、これら二つの認知の相関関係、それらの認知と属性や諸意識との相関関係などについての調査結果の報告が行われた。

 第3報告者の高橋会員からは、「社会的表象としてのサラリーマン―― 近代日本人の物語――」という報告が行われた。本報告は、サラリーマンという用語・概念を社会的表象として捉え、戦間期、すなわち「サラリーマン恐怖時代」を中心に検討を行った。そして、就職難と組合運動という担い手が異なる二つの現象がサラリーマンのイメージをどのように作り上げ、それが現実社会にどのような影響を及ぼしてきたか、という問題を中心に考察を加えた。

 第4報告者の堀内会員は、「ミドルクラスの文化志向性――職業から見た、文化的寛容性、社会的寛容性――」という報告を行った。本報告は、文化的な寛容性が社会階層の維持とどのような関係にあるのか、という関心から出発している。一昨年に実施した社会調査結果の分析を行い、社会階層のあり方を変化させうるのは、技術・管理職ではなく、専門職ではないか、という結論を提示した。

 以上のように、報告内容は多岐にわたったが、いずれもが関心が引かれる意欲的な発表であり、質疑応答も活発に行われた。ただ、既存研究の整理に関しては、ややかたよりが感じられる発表があったことも付け加えておきたい。

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