HOME > 年次大会 > 第47回大会(報告要旨・報告概要) > テーマ部会1
年次大会
大会報告:第47回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会1)

テーマ部会1 「福祉国家とジェンダー」  6/12 14:00〜17:15 [118教室]

司会者:武川 正吾 (東京大学)  中島 康予 (中央大学)
討論者:渋谷 敦司 (茨城大学)  下夷 美幸 (日本女子大学)

部会趣旨 (文責不明)
第1報告: 日本型福祉国家の成立過程とジェンダー関係 木本 喜美子 (一橋大学)
第2報告: 家族政策とジェンダー 山田 昌弘 (東京学芸大学)

報告概要 中島 康予 (中央大学)
部会趣旨

(文責不明)

 「福祉国家とジェンダー」という研究テーマは,かならずしも新しいものとはいえない.福祉国家のジェンダー化や,フェミニズムのアプローチによる社会政策論の展開は,海外では,むしろ80年代に流行したテーマであった.「福祉国家とジェンダー」に関しては,すでに論点の出尽くした観もあり,今日では,セクシュアリティやディスアビリティとの関連で福祉国家を考える方が,これから探求されるべき未知の領域としての意義は大きいかもしれない.

 とはいえ今日の日本の社会学界の現状をみるとき,このテーマがすでに解決済みのものだとはいえないのが現状である.もちろん今日の日本でも,多数の社会学者がジェンダーに関心を持っており,多数の社会学者が社会政策を研究テーマとしている.しかし多くのばあい,フェミニストやジェンダー研究者は社会政策について知らなかったし,社会政策研究者はジェンダー論的な視角をもちえなかった.竹中恵美子,杉本貴代栄,大沢真理などの各氏の活躍はあったが,それは例外的であり,しかも社会学会の外におけるものであった.

 こうした社会学界の状況を打破するために,今回の大会では,遅ればせながら「福祉国家とジェンダー」というテーマ部会を設定することにした.最新のテーマではないが,重要なテーマであることはまちがいない.これによって日本の社会学が国際標準にキャッチアップするためのキッカケとなることを願っている.また論戦を活性化させるうえで最適の報告者と討論者を集まることになっており,当日を楽しみにしている方も多いかと思う.

第1報告

日本型福祉国家の成立過程とジェンダー関係

木本 喜美子 (一橋大学)

 本報告では、報告者らのグループが1998年から99年にかけて実施した、ニューカマー家庭に対する聴き取り調査の結果を素材として、彼らが有する教育戦略の共通性と相違点を、グループ間比較の観点から明らかにしてみたい。

 本研究の初発の関心は、わが国の学校・教室におけるニューカマーの子どもたちの適応の様態を把握することにあった。教室でのフィールドワークを通じて浮かび上がってきたのは、彼らの適応のプロセスを理解するためには、来日の経緯や現在の生活状態をふくむ、家庭の状況を知ることが不可欠であるという当たり前の事実であった。そこで、われわれは、 3つのエスニック・グループ(「日系南米人」「インドシナ難民」「韓国系ニューカマー」)を設定し、首都圏を中心にインテンシブな家族対象の聴き取り調査を実施した(サンプル数はそれぞれ29・49・20で、合計98家族)。

 聴き取り結果を整理する際にわれわれが設定した概念が、「家族の資源システム」「家族の物語」「家族の教育戦略」の3つである。「家族の資源システム」とは、彼らがどのようなリソースを用いて日本での生活を組織化しようとしているかにかかわるもの、「家族の物語」とは、その日本での生活を彼らがどのように主観的に意義づけているかという点にかかわるものである。そして、本報告の中心をなす「家庭の教育戦略」を構成する要素として、ここでは「家庭での母語使用・母文化伝達」、「学校観・学校とのかかわり」、「子どもの進路への希望とそれへの対応」の3つを設定した。結果の概略は、以下の通りである。まず、もっともポジティブな「挑戦の物語」を有する韓国系ニューカマーは、「手段的利用」と名づけられる戦略を中心的に採用していた。それとは対照的に、ややネガティブな「安住の物語」のなかに生きているインドシナ難民たちは、日本の社会や学校に対して「盲従」と形容できるような構えを強く有していた。また、「一時的回帰の物語」をもち暫定的に日本社会に暮らしている日系南米人たちは、「アンビバレント」な教育戦略を採ることが多かった。
 当日の報告では、これらの点について、より詳細な議論を行いたい。

第2報告

家族政策とジェンダー

山田 昌弘 (東京学芸大学)

 近代社会の理念が、自由、公正、効率(ケインズの3原則)にあるとすると、福祉国家においては、市場が、「自由の拡大」「効率の上昇」をめざし、福祉国家が「不公平の是正」をめざすものという了解がある。しかし、市場と国家(公共セクター)に「家族」という領域を加えてみた場合、まったく違った様相が見えてくる。

 近代家族は、近代社会の理念と真っ向から対立する領域としてある。近代家族は、不自由、不公平、非効率の場である。家族は、選択できないし、勝手にやめることができない。どの親から生まれるかによって、成長期の生活環境の差ははなはだしいものがある。また、家族に要介護者がいるかいないかによって、生活の苦労の量の差は、はなはだしい。家事のしかた、「愛情」の生産のされかたという点から見ても、非効率な制度である。

 従来は、家族はすばらしいという幻想、家族の愛情という名で、不自由、不公平、非効率が表面化するのを防いでいたともいえる。

 家族幻想が崩れ、家族領域においても、自由、公正、効率。家族における不自由が表面化し、それを社会的に処理する必要性が生まれてきた。その際、ジェンダー差が問題になる。従来の「専業主婦体制」では、女性の方に、不自由、不公平、非効率の被害が及ぶ可能性が多かったからである。それは、生活のため嫌な相手と離婚できないという不自由、自分の努力でなく、夫の収入によって生活が決まるという不公平、家事の負担が一方的にかかり、自分に責任のない負担がかかるという不公平などである。

 国家、政府、公共団体は、これらの問題を処理するために、従来の最低水準保障の家族政策から、家族の不自由、不公平、非効率を改善するための政策に乗り出している。しかし、このトレンドは、家族に対する見方を根本的に変動させるものとなる。また、自己責任に基づく、家族の中にも競争原理(魅力の競争など)が入らざるをえなくなる。

報告概要

中島 康予 (中央大学)

 昨年度の「正義・公共性・市民権」部会では,福祉国家の境界形成作用,福祉国家の可能性と限界が,今後の課題として残された。いわば福祉国家のウチとソトという問題に,本年度はジェンダー視点からアプローチし,課題にこたえようとした。 報告者の木本喜美子氏「日本型福祉国家の展開とジェンダー関係」は,福祉国家のジェンダー化,すなわち福祉国家の組織編成原理に埋め込まれているジェンダー関係を可視化するという問題意識にたって,福祉国家研究の主潮流を整理したあと,戦後日本の福祉体制の形成・展開過程を,企業と家族の政策リンケージを中心にあとづけた。そして,90年代に転換期を迎えている福祉国家の行方をみると,「脱家父長制」化(武川正吾)が直ちに個人化を意味せず,これを「家族」化という視点から捉えることが分析的に優位に立つことを強調した。山田昌弘氏「家族政策とジェンダー」は,日本のジェンダー化された家族(家族の1940年体制)が,90年代に入ってリストラを迫られているとする。高度成長期までは,家族益と,公益および私益がほぼイコールで結ばれていたが,今日,家族益は,少子高齢化が社会全体の福祉の増大を困難にするという点で公益と対立し,家族の愛情に名を借りて女性に過剰な負担を強いるという意味で私益とも対立するようになっている。ケインズが掲げた自由・公正・効率の三原則に拠って立つ領域と,不自由・不公平・非効率の場としての家族がセットになって成立していた戦後体制を維持することは,不自由・不公平・非効率の表面化によって困難になり,この問題を処理するべく,さまざまな施策が提起されている。しかし,家族の効率性の上昇,不公平の解消,自由化によって,家族のなかに競争原理が入らざるを得ず,新たな問題が生じてくるだろうとする。

 討論者の渋谷敦司・下夷美幸両氏は,企業福祉と国家福祉の展望,家族や家族政策の捉え方など多くの論点を提起したが,なかでも, 1)「日本型」を析出することの意味,2)1990年代の転換・変化の理解, 3)脱家父長制化・脱家族化・個人化・社会化,それぞれの内包・指標と相互の連関,4)ジェンダー視点を理論的に詰める必要性をめぐって,フロアの参加者,司会の武川正吾氏をまきこんで活発な議論が行われた。

 福祉国家研究という場を設定することで,昨年度は,正義・公共性・市民権をめぐる規範的・政治哲学的アプローチの架橋を,そして今年度は,フェミニスト・ジェンダー研究者と社会政策研究者との架橋をもめざしていたが,この目標は,ある程度達成されたと思われる。また,「正義・公共性・市民権」の,とりわけ構造転換をめぐる議論のあり方・方向性に対して,ボールが投げ返されたとも言えよう。

▲このページのトップへ