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年次大会
大会報告:第47回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会4)

 テーマ部会4 「ジェンダーとセクシュアリティ」-セクシュアリティとジェンダー
 6/13 14:00〜17:15 [118教室]

司会者:江原 由美子 (東京都立大学)  矢島 正見 (中央大学)

部会趣旨 風間 孝 (動くゲイとレズビアンの会)
第1報告: ポスト構造主義のセックス/ジェンダー/セクシュアリティ理論 上野 千鶴子 (東京大学)
第2報告: 「ジェンダー」「セクシュアリティ」「セックス」
―エイズ問題と男性同性愛との「関わり」から―
河口 和也 (動くゲイとレズビアンの会)
第3報告: ホモフォビアとメランコリーをめぐって 田崎 英明

報告概要 風間 孝 (動くゲイとレズビアンの会)
部会趣旨

風間 孝 (動くゲイとレズビアンの会)

 このシンポジウムでは、レズビアン/ゲイ・スタディーズの視点を導入しながら、セクシュアリティとジェンダーという概念の相互関係、さらにはその概念化によって生産されてきた非対称な関係性や同性愛者や女性のアイデンティティの観点も含みなつつ、討議を行いたいと考えている。

 具体的な問題設定としては、これまで社会学の領域における性の研究としては、ジェンダー研究の歴史があるが、ジェンダー研究とセクシュアリティの研究はどこに接点があり、またどこに互いの関連性を押さえながらも個別の領域として研究する必要があるのか/ないのか。ジェンダー/セクシュアリティをめぐって生じている問題は、権力関係の磁場において生起していると同時に、その関係を生産してもいる。そして、マジョリティ/マイノリティのアイデンティティという位置として構造化されてもいる。このようなアイデンティティをめぐる政治の可能性/限界について、考えています。

 上野さんには、フェミニズムの立場から見たセクシュアリティ研究、 河口さんにはゲイ・スタディーズの立場から見たジェンダー研究、田崎さんにおはジェンダー/セクシュアリティ研究とアイデンティティをめぐる政治の関係、について提起をしてもらい、その後は会場に参加されたみなさんと討論を行いたいと考えています。

第1報告

ポスト構造主義のセックス/ジェンダー/セクシュアリティ理論

上野 千鶴子 (東京大学)

1 フーコーとセクシュアリティの近代の装置
2 ポスト構造主義のセックス/ジェンダー論
3 ポスト構造主義のセックス/セクシュアリティ論
4 ポストエイズ時代のセックス・サーベイとその理論的含意
5 ふたたびセックス/ジェンダー/セクシュアリティをめぐって

 セクシュアリティの近代の装置がゆらぎを見せているように見える現在、あれこれの倫理的裁断を下すよりは、セクシュアリティの変貌をとらえる理論的な装置が求められている。ここでは、フーコー以後のポスト構造主義のセクシュアリティ論の展開と、同じ時期に理論的な蓄積を見せたフェミニズムのジェンダー理論とを参照しながら、セックス/ジェンダー/セクシュアリティのあいだの理論的な関係をさぐってみたい。本質主義批判によっていったんは切り離されたセックスとジェンダー、セックスとセクシュアリティとのあいだに、どのような関係があるかが改めて問い直されている。またジェンダーに非関与なセクシュアリティ論、逆にセクシュアリティ抜きのジェンダー論にも、批判が集まっている。他方でポスト・エイズ時代の実証的なセックス・サーベイや、性の臨床研究からもさまざまに新しい事実がわかってきている。そして経験研究が概念化と不可分であることもあきらかである。本報告では90年代以降の新しい理論と実証の展開をフォローし、その理論的含意と可能性を論じる。

第2報告

「ジェンダー」「セクシュアリティ」「セックス」
―エイズ問題と男性同性愛との「関わり」から―

河口 和也 (動くゲイとレズビアンの会)

 「ジェンダー」「セクシュアリティ」という用語あるいは概念は、近代社会において「自然」であると自明視されてきた「セックス」の問題に疑義を唱えることを可能にした。「セックス」が「自然」の領域から分離され、社会的なものとしてとらえられる視点を得るようになったのである。しかし、他方で「ジェンダー」「セクシュアリティ」という用語が、「脱性差化」あるいは「脱性化」された形で使われることによって、「セックス」をめぐる性差に基づく権力関係や(性的)欲望/(性的)快楽の問題を回避する口実となってしまう傾向もある。それは「セックス」の隠蔽化につながるものでもある。

 80年代以降、日本でもエイズ問題が注目されるようになったが、疫学的な研究が中心的であり、社会学的な「問題」として取り上げられることはほとんどなかった。社会学の領域では、そのこと自体が考察されるべき重要な焦点になる。報告のなかでは、なぜ「エイズ」は社会学的関心事になり得なかったのか、さらにエイズ問題と男性同性愛の「関わり」というテクストを通してジェンダー/セクシュアリティ/セックスの関係を考察するとともに、その問題における男性同性愛者の位置について考えてみたい。

第3報告

ホモフォビアとメランコリーをめぐって

田崎 英明

(要旨不明)

報告概要

風間 孝 (動くゲイとレズビアンの会)

 今回の部会では、「ジェンダー(研究)」と「セクシュアリティ(研究)」を暫定的に独立した領域と見なしたうえで、その接点と交差を見出すことを課題として設定し、ジェンダーとセクシュアリティというカテゴリー化にもとづくアイデンティティの政治をも視野に入れてシンポジウムを立案した。

 上野千鶴子氏は、ポスト構造主義のセックス/ジェンダー/セクシュアリティ理論を簡潔に要約した後で、合衆国のセックス・サーベイの変遷を3期に分けその理論的含意を中心に報告し、セックス≠ジェンダー、セックス≠セクシュアリティが明らかになったと指摘した。残された課題として、ジェンダーとセクシュアリティの関係をどのように考えるのか――ジェンダーは自由に選択できるものでもない一方で、女/男というジェンダー二元性の呪縛が根強いこと、セクシュアリティは無限で多様なものと語られる一方で、異性愛・カップルと対比されるカテゴリーが倒錯・過剰といった徴づけをされている現状がある――という問題提起を行なった。

 つづけて河口和也氏は、エイズと男性同性愛の「関わり」からジェンダーとセクシュアリティについて報告を行なった。エイズの出現は男性同性愛者の存在を可視化したと同時に、肛門性交に象徴される性行為へのまなざしをも生産したと述べた。さらに肛門性交は、挿入を甘んじて受け入れることによって能動性(男性性)の放棄、すなわち受動性(女性化)とみなされ非難される一方で、能動的とされる異性愛男性のアイデンティティにとっての構造的他者の役割を担わされてきたと分析した。さらに男を生産と同一視する公的領域とし、女を家庭と同一視する私的領域とするジェンダー秩序は、肛門性交の表象にも示されるように、(性的)能動性/(性的)受動性の規範と補完関係にあると論じた。

 最後に田崎英明氏は、近代社会においてホモセクシュアルが抑圧されるのは、家父長制が偽装されたホモセクシュアル(ホモソーシャル)であるという観点から、ジェンダーとセクシュアリティの繋ぎ目としてホモフォビア(同性愛嫌悪)を位置づけた。また、自らが父と母のどちらの側に属するのかの同一化によって生み出されるジェンダー・アイデンティティによって欲望の性別も決定されると理解されており、誰を欲望するかというセクシュアリティがアイデンティティを形成していない現状があると論じた。

 報告後には、実証的研究における日米の文脈の違い、性的に能動的な男性同性愛者へのホモフォビア等について、討議が行われた。

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