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年次大会
大会報告:第49回大会 (報告要旨・報告概要:プレナリー・セッション)

プレナリー・セッション「社会学の方法と対象」  6/9 14:00〜17:15 [9103教室]

司会者:山田 真茂留 (立教大学)  土井 隆義 (筑波大学)
討論者:鈴木 智之 (法政大学)  佐藤 俊樹 (東京大学)

部会趣旨 玉野 和志 (東京都立大学)
第1報告: 記憶というフィールドから/へ 浜 日出夫 (慶應義塾大学)
第2報告: 社会的認識の変容は何を意味するか
――カテゴリー分析の試み
坂本 佳鶴恵 (お茶の水女子大学)
第3報告: 言説の歴史を書く 赤川 学 (岡山大学)

報告概要 草柳 千早 (大妻女子大学)
部会趣旨

部会担当: 玉野 和志 (東京都立大学)

 昨年度大会で初めて試みられたプリナリ−セッションでは,社会学の方法と対象というテーマで,自らがその内部に属する社会をもはや単純に客観的にとらえることができると考えるわけにはいかないということが確認されたように思います。そこでそれなりの方法論が求められるわけですが,今年度大会ではこの点で新しい社会学の方法を実践なさっている方々にご報告をいただき,社会学における最近の新しい方法の可能性を,その具体的な成果を共有しながら,検討していきたいと考えています。

 浜報告は現象学的な歴史社会学という観点から,土浦・筑波地区の博物館・記念館・記念碑などの調査を題材に,集合的な記憶という問題について扱っていただきます。坂本報告では近代家族という対象について,映画やホームドラマを題材にした「カテゴリー分析」の試みについてお話をいただきます。さらに赤川報告では,言説分析の立場から近代日本におけるセクシュアリティの歴史社会学を題材に,旧来の方法との対比で言説分析の意義について問題提起をいただく予定です。また,討論者については鈴木氏には主として理論的・方法論的な立場から,佐藤氏には主として具体的な歴史変動との関連でコメントをいただければと考えております。

 今年度大会においては,いずれも具体的なデータをふまえた分析が提示されますので,さまざまな方法的立場や理論的関心をもつ会員の方々が,共通の土俵にたって議論を戦わせることができると考えています。フロアを中心とした活発な議論と意見交換の場が生まれることを期待するとともに,会員の積極的な参加をお願いいたします。

第1報告

記憶というフィールドから/へ

浜 日出夫 (慶應義塾大学)

 この報告では,博物館・記念館・記念碑・記念行事といった目に見えるモノをてがかりとして,集合的記憶という目に見えない対象について研究する方法の試みについて報告する。

 具体的には1929年に霞ヶ浦に飛来した飛行船ツェッペリン伯号にかかわる集合的記憶をとりあげる。土浦市およびその周辺における博物館展示,コレクション,記念碑,記念行事などを通して,ツェッペリン伯号飛来という巨大なメディア・イベントにかんする記憶がいかにして集合的に形成され維持されているのか,またそれらの記憶のあいだに分裂や対立はないのか,またなにかが記憶される一方で,なにかが忘却されていることはないか,などについて具体的な資料にもとづいて考察したい。

 また博物館や記念館にモノを集めて並べる,それらを見る,記念碑を建てる,あるいは記念行事を開催する,それに参加するといった行為を,集合的に過去を想起し歴史を構成する行為としてとらえようとするときにヒントを与えてくれるものとして,アルヴァックスの集合的記憶論やシュッツのフォアヴェルト論などについて検討する。

 さらに以上の考察をふまえて,歴史と社会学のかかわりにかんしてもインプリケーションを引き出したい。

第2報告

社会的認識の変容は何を意味するか
――カテゴリー分析の試み

坂本 佳鶴恵 (お茶の水女子大学)

 私は,人々の社会的認識が,行為や社会変化とどのような関係にあるのかをテーマとして研究してきた。このような問題視角から具体的な分析方法を提案した例としては,エスノメソドロジー,社会構築主義,フーコーなどをモデルとした言説分析などがあるが,私自身は,これらの影響を受けつつ,独自の方法を模索している。その一つがここでとりあげる「カテゴリー分析」である。拙著『家族イメージの誕生』は,「家族」というカテゴリーを対象に,社会的認識の歴史的な成立のしかたを明らかにしようとした。「家族」というカテゴリーに対して私たちがもつイメージには,どのようなものがあり,それはいつどのように変化し,できあがったのか。その変化にはどのような要因が介在し,またしなかったのか。これを明らかにするために,分析対象となった時代において,最大の娯楽であった映画をめぐる言説をとりあげ,その変化を通じて人々の認識の変化を明らかにしようとした。報告では,拙著で提案した方法論とその適用による分析を部分的に紹介することによって,理論と対象をつなぐ,対象に応じた新しい方法への試みの例を提供できればと思う。

 「カテゴリー分析」とは,対象を,そのまま分析者の概念によって分析するのではなく,人々がその対象をどのように認識したかに注目し,その認識を分析するという方法である。拙著の事例でいえば,家族を対象とする映画は,歴史的に,その認識のされかたが変わってきた。「母もの」,「小市民映画」という認識から「ホームドラマ映画」という認識への変化である。製作者,批評家および観客は,家族の物語を映画に表現するとき,かつては「母もの」,「小市民映画」という認識の枠組みを用いていたが,1950年代以後「ホームドラマ」というカテゴリーを用いるようになった。このような変化は,家族の物語にたいする人々の,どのような意味づけの変化であり,どのような要因がその変化にかかわったのだろうか。本報告では,このような事例分析や,カテゴリー分析の方法とその効果,ほかの事例への適用可能性について述べたい。

第3報告

言説の歴史を書く

赤川 学 (岡山大学)

 現在,人文系の研究において「言説分析」は百花繚乱の様相を呈しているが,本報告は,言説分析を経験的な社会学の一手法として確立するために必要な,いくつかの方法論的前提について論じる。論じられるのは,(a)言説分析は反社会学かいなか,(b)言説分析は言説空間の仮想的な全体性を想定すべきかいなか,(c)言説分析が問うのは『誰が語るか』なのか,『誰が語っても似たような言説になるのはなぜか』なのか,(d)言説分析が分析するのは言説の内容なのか形式なのか,といった基本的諸問題である。

 後半では,ここ数年,報告者自身が行ってきた「近代日本におけるセクシュアリティ(言説)の歴史社会学」を紹介しながら,実際に言説分析を行う際になされる手続き,留意すべきポイントについて具体的に論じる。できれば言説分析が,フィールドワークや計量分析といった従来の社会調査の手法や,歴史学の史料批判などとどう異なっており,またそのことが社会学の調査方法論にどのような可能性と展望を与え得るのかについても議論したい。

報告概要

草柳 千早 (大妻女子大学)

 社会学的認識の相対化を踏まえた上で今後いかに社会学を実践していくのか−昨年第1回目で確認されたこの問題を受け、第2回目の今回は、新しい社会学の方法を実践している方々に報告いただき、その具体的な成果を共有しながら、新しい社会学的実践の可能性を検討することを課題とした。

 第一報告「記憶というフィールドから/へ」では、浜日出夫氏(慶応義塾大学)より、博物館や記念館といった目に見えるモノから集合的記憶について研究する、新しい方法の試みが、ご自身の土浦におけるツェッペリン伯号飛来をめぐる展示資料等を対象とするフィールドワークの成果とともに示された。

 第二報告の坂本佳鶴恵氏(お茶の水女子大学)からは、「社会的認識の変容は何を意味するか−カテゴリー分析の試み」として、独自の「カテゴリー分析」−対象を、分析者の概念によって分析するのではなく、人々がその対象をどう認識したかを分析する方法−による、映画を分析対象とした、人々の家族認識についての研究の試みが報告された。

 第三報告「言説の歴史を書く」では、赤川学氏(岡山大学)より、ご著書『セクシュアリティの歴史社会学』で実践した、言説史を書くという新しい方法について報告がなされた。著書での前提、目標、発見、また著書に対して各界から寄せられたコメントとそれへの応答が示され、「言説の歴史を書く」とはいかなる営為なのか、という問いが考察された。

 討論者の鈴木智之氏(法政大学)と佐藤俊樹氏(東京大学)からはいくつかの論点にわたってコメントと問題が提起された。ここに全てを列挙することはできないが、特に3報告共通に関わる論点として、各方法で扱われる対象とその「外部」「コンテクスト」との関連をどのように考えるのか、という問題が論じられた。鈴木氏からは、データ内在的記述だけでなくデータとそのコンテクストの関係についても可能なかぎり記述していく、という方法的選択の可能性が問われた。この問題に対して、赤川・浜両氏と坂本氏の立場は異なっていたように思われる。赤川氏はご自身の立場を「言説至上主義」と呼び、浜氏は「資料」の外部に「史実」を置くのでなくあくまで「資料」間の関係から記述を組み立てることを述べたが、坂本氏は、「人々の認識」と「実態」のズレを見ることはカテゴリー分析の一部であると述べた。

 司会は土井隆義氏(筑波大学)と玉野和志氏(東京都立大学)が務め、最後に2年間のまとめも含めて玉野氏が、これからの社会学の実践として、方法論的に閉じたところから新たに拡げていく形をさらに方法として考えていくことが必要ではないか、と問いかけた。

 他にも様々な論点が出されたが、時間不足となりフロアも交えて充分に議論を深めることができなかったことが残念であり反省点となった。2年を通じて多くの方々にご参加頂き、このテーマへの関心の高さが改めて確認された。充分議論できなかった点も含め当日共有された問題が、1人1人の今後の実践にむけて何か考えるきっかけになれば、と願う。全てのご関係者に感謝申し上げます。

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