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年次大会
大会報告:第49回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第1部会)

第1部会:理論と歴史社会学  6/9 10:00〜12:30 [9202教室]

司会:中筋 直哉 (法政大学)
1. P. M. ブラウの交換の概念について 西川 哲生 (立正大学)
2. 旅人空間のクリティーク/社会学的リズミクス試論 中島 哲 (早稲田大学)
3. 文化の基層を語ることについて
――池田榮の聖徳太子論を例として
今井 隆太 (早稲田大学)
4. 都市住宅調査と「住むこと」の発見 祐成 保志 (東京大学)

報告概要 中筋 直哉 (法政大学)
第1報告

P. M. ブラウの交換の概念について

西川 哲生 (立正大学)

 パーソンズを筆頭とした構造機能主義は1950年代においてアメリカで,日本では1960年代から70年代前半にかけて,理論社会学界に強い影響を与えた。社会学の通常科学化を促進し,尚かつ社会学理論の支配的な勢いを見せる構造機能主義に対して1960年代以降,各種の対抗理論が登場する。交換理論もその一つとして当時,注目されることになるが,現在その理論研究が隆盛であるとは言いがたい。一方で,同時期に同じく構造機能主義への対抗理論として登場した象徴的相互作用論は今日,社会学において主要な地位を占めている。それに対し,象徴的相互作用論と同じくミクロ領域からの分析を行った交換理論が衰退の方向性を辿ることになったのは何故なのか。特にブラウの交換理論は社会的交換に絞った分析概念と弁証法的な理論構成により,単にミクロ領域を研究対象とするに留まらずマクロ・ミクロ接続への発展可能性を持っていた希有な理論だった。しかし,その一方で彼の理論は概念の抽象化と対象領域の限定が応用を難しくしてしまい,その後の発展を阻んだとも言える。ブラウの交換理論は今日では既に,ブラウ自身が交換理論に携わることを実質的に止めてしまった上に,目立つ理論的継承者も見受けられない。この衰退の原因について,同じく交換理論の祖の一人とされるホマンズの理論を比較することで検討したい。

第2報告

旅人空間のクリティーク/社会学的リズミクス試論

中島 哲 (早稲田大学)

 旅の途上において,異質なものと出会いながらも同質的な空間に佇み,心地良さを感受する瞬間がある。このような経験に対して,構造のグローバリゼーションがもたらした資本移動や類似性という解釈を加える論者もあるが,本報告では,旅人自身が奏でるリズムから生まれる景観という側面に着目し,リズミクスという観点から旅空間を捉えることの社会学的意義を探究する。

 L. クラーゲスによれば,「リズム」は分節化された合理性としての「タクト」からは区別される。覚醒されたタクトの体験では語りえぬリズムという概念には,社会や文化には回収できない,旋律を生み出すような生きられた躍動感が宿る。ここでは,喩えるならば,一つの音楽ジャンルが完成されるに至る「ルート」の世界を歴史的に捉え返すのではなく,個々の楽器が奏でる「音」の世界が一つのまとまった音楽に注ぎ込まれる「リズム」に着眼する。さらにその視野を,旅人らによって共有される世界,すなわちリズミカルな方法を介した「生の営み」による空間演出にまで拡げることを試みる。

 本報告では,日常的実践を考察する際に「戦術」概念を導入したM. ド・セルトーや,「リズム分析」を提唱し,混沌によって紡ぎ出される異質性がアンサンブルを生み出す契機となることを示唆するH. ルフェーヴルの議論を中心に取り上げる予定である。

第3報告

文化の基層を語ることについて
――池田榮の聖徳太子論を例として

今井 隆太 (早稲田大学)

 明治憲法体制の末期に展開された国民精神論のうち,池田榮(1901〜1989)による『日本政治学の根底』(昭和17年)の特異性は際立っている。元来は英国政治史専攻で,英国憲法史を通じて英国民精神を研究したが,民俗宗教としての聖徳太子神話を題材に日本精神を対象としたのが本書である。精神文化の基層に位置する神話の扱いには,当時の支配的イデオロギーである天皇制擁護の意図があり,その為,戦後は否定と黙殺の対象となってきた。たしかに近代の国家法学の概念によれば,罰則規定もない太子の十七条憲法は単なる道徳的文書である。しかし池田榮は宗教的法概念により,科学的客観性と価値判断の問題に切り込んだのだといえる。1930年代初頭の欧米に留学し社会科学的厳密さを前提としながら,池田は「語り」としての歴史の復権を主張している。その学問的姿勢においても,抹殺された記憶としても,現代の日本文化論が再び光を当てる時期に来ていると考えられる。

 本報告は,戦後公職追放の時期を経て,神話・説話の中に民衆精神を探究しつづけた池田榮の学問的生涯を振り返りながら,文化を見る研究者自身の「語り」の位置に触れて行きたい。ナショナル・ヒストリーをめぐる一連の論議から見れば応用例であるが,比較文化論が様々な角度から文化の基層に潜むものへと探索を進めている現在,先駆的業績の「語りなおし」には相応の意義があるとの認識に基づき,以上のような報告を意図するものである。

第4報告

都市住宅調査と「住むこと」の発見

祐成 保志 (東京大学)

 「住むこと」について語る言説(住居言説)が夥しく生産され,住むことに関わる理念や技術が絶えず意識化され,問いなおされるという現象は,近代社会の一つの特質であると考えられる。本報告は,近代日本における住むという身体的実践の意味を,住居言説の対象化を通じて捉えなおす作業の一環として,1920〜30年代を中心とする時期の都市住宅調査を歴史社会学的に再検討するものである。

 都市住宅調査は,内務省,自治体,同潤会等によって,1920年代頃から活発に行われるようになる。それ自体として明確に何らかの主張を展開するものではないが,調査は技術的手続きの体系であるとともに対象選別の体系でもある。調査がどのような主題で実施され,どのようなサンプルが選ばれ,何が記録され,計測されたか,ということそれぞれが住居言説の内実を構成する。この時期の住宅調査において注目されるのは,空間(「住宅」「住戸」「地区」…)のモノとしての属性とともに,身体との関係(「住み方」)が記述されるべき対象として見出される過程である。そして,住み方の構造性は,経済的な変数だけでなく心理的な変数,たとえば階層的な欲望の差異によって説明され,さらに住居への欲望は他の欲望と相関させられる。このような調査者の視線が持つ意味を,できるだけ同時代における住居言説の広がりのなかに位置づけながら考察したい。

報告概要

中筋 直哉 (法政大学)

 第1部会は「理論と歴史社会学」というテーマが与えられていたが、編成担当者の苦労がしのばれるネーミングで、それぞれの報告が個性的なので、そうした括りを与えることは司会に困難だった。けれども、司会の非力からそうはならなかったが、実際にはそれぞれの報告には互いに重なりあい、響きあうところが少なくなかったように思われる。その意味で、報告者および参会者の方々にお詫び申し上げたい。

 第1報告「P.M.ブラウの交換の概念について」(西川哲生)は、ブラウの交換理論をその鍵概念である「互酬性」に注目して解説した上で、それがミクロ・マクロリンク問題に示唆を与えつつも、「互酬性」の実体視とそれへの過度の還元の結果、理論的にも実証的にも展開可能性を見失ったと批判した。ミクロ・マクロリンク問題一般への展開可能性に含みを残した報告だった。

 第2報告「旅人空間のクリティーク/社会学的リズミクス試論」(中島哲)は、L.クラーゲスのリズムとタクトの議論に触発されながら、独自の身体論(リズミクス)による社会理論の組み換えを模索するものであった。それは空港などの「旅人空間」に流れる独特の雰囲気や、サルサのような混交的音楽の魅力について新しい理解を与える。身体論による社会理論の組み換えの試みはこれまでも少なくなかったが、身体を動きの流れとして捉えようとする点に、本報告のオリジナリティがあるように思われた。

 第3報告「文化の基層を語ることについて」(今井隆太)は、第2次世界大戦中に『日本政治学の根底』を著して体制のイデオローグとなった池田栄の聖徳太子論を検討しながら、戦争という危機の時代に聖徳太子という文化象徴を語ることの歴史性と文化性について考察を加えようとするものであった。単なる知識人論に留まらず民俗心性との接点において思想の可能性と限界を捉えようとする点に、本報告の知識社会学としての新しさがあるように思われた。

 第4報告「都市住宅調査と『住むこと』の発見」(祐成保志)は、大正から昭和戦前期にかけての都市の不良住宅をめぐる専門家たちの議論を精密に検討することから、住宅をそこで営まれる生活と強く関連づけていくこと、ルフェーヴル流に言えば「住むこと」を「居住地」に囲い込んでいくような、技術から言説にわたる複合的な社会的実践が歴史的に成立してくる様を明らかにしようとした。紋切型の「近代の誕生」図式に陥るおそれがないでもなかったが、もう少し広い歴史的視野と現代的価値関心によって支えられるならば、都市社会学や家族社会学の批判的展開に寄与するところの多い報告のように思われた。

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