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年次大会
大会報告:第49回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第5部会)

第5部会:戦後日本〈トランスジェンダー〉の社会学  6/10 10:00〜12:30 [9202教室]

司会:笠間 千浪 (神奈川大学)
1. 「女装者」概念の成立 三橋 順子 (中央大学)
2. 「男性同性愛者」と「MTFTSG」の分節化 村上 隆則 (成城大学)
3. 「回復」された性転換手術の医療行為性 石田 仁 (中央大学)
4. 「性同一性」の構築と「性」の編成 杉浦 郁子 (中央大学)
5. 「真のTS(トランスセクシュアル)」をめぐる実践と精神療法 鶴田 幸恵 (東京都立大学)

報告概要 笠間 千浪 (神奈川大学)
第1報告

「女装者」概念の成立

三橋 順子 (中央大学)

 元来,女性の服飾を意味する「女装」という言葉が,身体的な男性が女性の服飾を身にまとう行為(異性装)を意味するように転化し,さらにそうした異性装者を「女装者」と呼ぶようになり,その当事者たちも「女装者」としてのアイデンティティを持つに至る過程を考察する。

 近代以降の明治〜昭和初期において社会的に顕在化していた異性装(女装)者は,女装の芸能者である歌舞伎や芝居の「女形」のみであった。続いて戦後の1940年代後半の社会的混乱期には女装のセックス・ワーカーである「男娼」が顕在化し,さらに1950年代になると非男性的な(女装を含む)ファッションで接客する飲食業としての「ゲイバー」が成立し,そこの従業員が「ゲイボーイ」と呼ばれるようになる。

 一方,1950年代末頃から「女形」でも「男娼」でも「ゲイボーイ」でもない,つまり女装を職業とせず,純粋なアマチュアの立場で趣味として女装を行う集団が出現する。こうした人々が,1960年代以降「アマチュア女装愛好者」「女装者」として概念化され,1970〜1980年代には,プロフェッショナルな女装者である「ゲイボーイ」→「ニューハーフ(ミスター・レディ)」に対して,アマチュアの「女装者」として位置付けられていく。

 そうした過程を,雑誌文献などによって跡づけながら,日本の〈トランスジェンダー)社会史における「女装者」成立の意味を考えたい。

第2報告

「男性同性愛者」と「MTFTSG」の分節化

村上 隆則 (成城大学)

 今日の「啓蒙的」なセクシュアリティ論は,性現象を〈生物学的性別の系〉〈性自認の系〉〈性的指向の系〉という3つの軸のもとでマトリックス化し,それぞれの枠内に確定的アイデンティティ(たとえば生物学的性別が男性・性自認が女性・性的指向が女性であれば『MTFTSレズビアン』)を割り当てるという整序された体系を用意しており,この体系のもとでは,同性愛者とトランスセクシュアル/ジェンダーは全く別種のカテゴリとして定位される。しかし戦後の日本で使われてきた「同性愛者」「第三の性」「ゲイ・ボーイ」「ブルーボーイ」「男色者」「人工女性」などの民俗範疇folk categoryは,いずれも上記の3つの問題系を横断しつつ有徴化された,いわば異種混淆的なカテゴリであった。特に1945年から1950年代末にかけては,現在であれば「男性同性愛者」「男性セックスワーカー」「MTFトランスセクシュアル/ジェンダー」「女装者」などと呼ばれて区別されたであろう人々が,「ノガミ(上野)」という場における交通の中でゆるやかな共同性を形作っていたことが伺える。本発表では,こうした異種混淆性が時代とともにどう変遷し,どう分節化していったのか,そのプロセスを文献資料を用いながら明らかにしたい。

第3報告

「回復」された性転換手術の医療行為性

石田 仁 (中央大学)

 日本における,性転換手術に関与する医療チーム(および関連の専門家)は,性転換手術という行為がいかに「医療行為」であると述べているか,主に,彼らが援用する法言説に注目してその主張のしくみをあきらかにする。

 ブルーボーイ事件の判決以降,少なくとも30年近く,訴追された医師が施したような性転換手術は「医療行為ではない」とされてきた。しかし埼玉医科大学の医療チームをはじめとする専門家の積極的な啓蒙により,従来の見解に反する潮流が急速に台頭し,90年代終盤には性転換手術は医療行為性を「回復」する。現在,医療行為性の問題は,当事者を含めた議論の最前線からすでに退いてさえいる。

 しかし,いかにしてそのような変化が果たされたか?

 性転換手術は正当な医療行為であると主張するためには,性同一性障害という疾患概念の確立や,「その疾患由来の苦痛を軽減する」といった,医療内部で完結した根拠だけでは不十分で,医療外部の言説をたくみに取り入れることが必要であった。なぜならそもそも「正当な医療行為」「治療行為性」等という言葉自体が刑事法に関連づけられた用語であり,日本固有の状況でいえば,性転換手術は現行法に抵触しない(傷害罪ではない)という証明も,同時に迫られていたからだ。したがって本発表は,医療チームが法言説をどのように資源とすることで性転換手術には医療行為性があり,非犯罪行為であるかを示していったのかに注目する。

第4報告

「性同一性」の構築と「性」の編成

杉浦 郁子 (中央大学)

 「性同一性障害」をめぐる医学的言説において,「性同一性gender identity」がどのように構築されたかを考察する。そこから明らかになるのは,「性」という対象がいくつかの領域に分節され,それと同時に,分節された領域が相互に関連づけられていくような「性」の編成のされ方である。

 本報告がデータとして使用するのは,埼玉医科大学が「性同一性障害」の治療の一手段としていわゆる「性転換手術」の実施を検討し始めた1990年代後半以降の,国内の「専門家」たちによる論文や著書である。なかでも着目したのは,「ヒトの性」についての予備知識や,「性同一性障害」の鑑別診断にかんする記述である。「性同一性」は,「生物学的性」「社会心理学的性」「性的指向」「性的興奮」などとの差異/かかわりにおいて,「性同一性障害」は,「半陰陽」「フェティシズム的服装倒錯症」などとの差異/かかわりにおいて示されるが,そのような言語的実践を通して,「性同一性」のみならず,「性」を成り立たせるさまざまな領域が,一定の特徴を付与されたものとして構築され,配置されていく。

 本報告は,「性同一性」との関連において分節・編成されていく「性」のあり方と,その編成自体に理解可能性を与える方法,すなわち「常識的」な知識を動員しながら「専門的」な知識を仮構していくやり方を明らかにしたい。

第5報告

「真のTS(トランスセクシュアル)」をめぐる実践と精神療法

鶴田 幸恵 (東京都立大学)

 1998年,埼玉医科大学において日本で初めて「正当な医療行為」としての「性別再判定手術(俗にいう性転換手術)」が行われた。それに先立って1996年に埼玉医科大学が「『性転換治療の臨床的研究』に関する審議経過と答申」を発表し,1997年に日本精神神経学会が「精神療法」→「ホルモン療法」→「手術療法」からなる治療のガイドラインを策定した経過を含め,この問題はメディアを通してしばしば報道され,社会的関心も高まっている。

 これらの報道は,手術を望む当事者が幼い頃から一貫して解剖学的な性別とは反対の「心の性」を持っており,表現形も「その性らしい」ことを強調し,これらの要因を「生物学的なもの」だと説明する傾向がある。つまりこれまで性差とされてきた「身体」ではなく「心」にこそ性差があると再定義しているのだ。この「心」のあり方を見定め,誰が手術を許されてしかるべき当事者(医療の用語では「中核群のTS」)であるかを選別する役割を担っているのは精神科医である。その「門番」としての役割,それに伴う弊害はこれまでも指摘されている。

 本報告では,このような報道を通じて,また医療者によって語られる「性転換療法をめぐる知識」,特に「手術を許されてしかるべき当事者とはどのような人々であるのか」という定義が,どのような実践によりなされているのかを,一昨年から私が行っている当事者への聞き取り調査を基に検討したい。

報告概要

笠間 千浪 (神奈川大学)

 大会2日めの自由報告部会(第5部会)では、5つの報告がおこなわれた。いずれも、「性別越境」現象を構築主義アプローチや言説/表象分析などを採用して考察したものである。

 なお、大別すると、村上隆則報告(「男性同性愛者」と「ゲイボーイ」の分節化)と三橋順子報告(「女装者」概念の成立)は、マスメディアにおける表象やサブカルチャーにおける概念およびカテゴリー形成過程を扱っており、一方、石田仁報告(「回復」された性転換手術の医療行為性)、杉浦郁子報告(「性同一性gender identity」の構築と「性」の編成)、鶴田幸恵報告(「真のTS(トランスセクシュアル)」をめぐる実践と精神療法)は、いわゆる「性同一性障害」をめぐるテーマを扱っている。

 三橋報告は、原義として女性の服飾を意味していた「女装」という言葉が、1950年代以降、次第に男性の「異性装」行為のみを意味するように転化していったことを跡付けた。そして、1950年代末頃から女装を職業としないアマチュアの立場の「女装(愛好)者」というサブカルチャーが形成され、そこでは「職業としての女装者(ニューハーフ)」、MTFTG、男性同性愛者などのカテゴリーとも異なるアイデンティティが形成されていると指摘した。

 村上報告は、1930−60年代の一般雑誌・書籍における「女性化した男性」をめぐる性的カテゴリー表象の変遷の考察のなかで、はじめは性科学(性欲学)コードの同性愛というカテゴリー内で意味付けされていた「女性化した男性」表象(ゲイボーイ)が、次第にそのカテゴリーから分離され表象されてきたことを指摘した。

 石田報告は、性転換手術が「医療行為」であることをめぐる言説の検討で、1995年までは言説は定型化されていなかったと指摘した。しかし、倫理委「答申」の直後に定型的な「性転換手術=違法」言説が爆発し、その後、日本精神神経学会の「ガイドライン」(1997)を境として「慎重なステップ=医療」言説が正当性を獲得することになるプロセスをみれば、「違法」言説が性転換手術の「医療行為性」の「回復」のために必要不可欠だったことがわかるという。

 杉浦報告は、「性同一性障害」に関する医学的言説において、「性同一性」との関連において分節・編成されていく「性」のあり方と、「常識的」な知識を動員しながら「専門的」な知識を仮構していくやり方を構築主義アプローチで分析した。

 鶴田報告は、「トランスジェンダー」の当事者への聞き取り調査を通して、「手術を許されてしかるべき当事者」(「真のトランスセクシュアル」「TS・中核群」)という医学的定義を当事者がどのように把握し、また「精神療法」の場における実践がどのようになされているかを検討した。それによって、医療の認識を支える「TS・中核群」カテゴリーが、当事者と医療者との共同実践によって「実体化」され、「手術を許されてしかるべき当事者」と「そうでない当事者」との境界が構築され、そのプロセスで医療の設定する「境界」はより強固になっていることを提示した。

 以上の各報告で共通しているのは、日本社会における言説/表象や当事者たちの聞き取りを丁寧に分析・検討することであり、そのような研究態度は、とかく「道徳論議」に終始しそうな議題をより慎重にみていくことを可能にしているといえよう。そして、そのような分析・検討の試みのなかでこそ、日常的な権力作用もしくはポリティクスが明らかになるのではないだろうか。

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