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年次大会
大会報告:第54回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会B)


テーマ部会B 「『保守化』を検証する」  6/18 14:10〜17:30 [西校舎・2階 526教室]

司会者:岩上 真珠 (聖心女子大学)、奥村 隆 (立教大学)
討論者:西原 和久 (名古屋大学)、橋本 健二 (武蔵大学)

部会趣旨 岩上 真珠 (聖心女子大学)
1. ジェンダー・フリー・バッシングとその背景 江原 由美子 (首都大学東京)
2. 動員される市民活動?
――ネオリベラリズム批判を超えて
渡戸 一郎 (明星大学)
3. 若者の「保守化・右傾化」とナショナリズム
――社会調査を通して大学生と共に考える――
吉野 耕作 (上智大学)

報告概要 岩上 真珠 (聖心女子大学)
部会趣旨

部会担当: 岩上 真珠 (聖心女子大学)

 今日、日本社会の状況をみるに、「ある方向に動いている」ことが、いろいろな局面で感じられる。ジェンダーフリー・バッシングや「家族」回帰、外国人への排除やナショナリズムの高揚、市民運動を含む社会運動の変質、世論調査結果に見られる若者や都市市民層などの従来とは違う社会意識など、01年以降において、90年代前半までの状況とは異なる動きがみてとれる。これに「保守化」という多義的な用語をあてはめることには慎重であるべきだが、戦後日本の政治・社会・文化状況において、55年体制から高度成長終焉までと、その後の80年代、90年代とは異なる動きが生じているように感じられるのが、本部会を立ち上げる問題意識である。こうした動きは、それぞれの局面においてどのような固有性をもち、いかなる共通性を背景としているのであろうか。また、どのような構造変動によって、これを位置づけ、説明することができるのか。こうした「ある方向の動き」をいわゆる「保守化」と呼びうるのかという問題提起も含め、「保守化」という視角から、今日の社会状況を読み解くことが、本部会の目的である。

 今大会のシンポジウムでは、以下の三つの局面からの報告を柱に、この動きへの議論を深めたいと思う。すなわち、ジェンダー政策とくに「男女共同参画」政策の動向と背景、市民運動の行政セクターとの関係の変化や「市民」そのものの保守化、ナショナリズムとそれをとりまく日本社会の変容、という三つの柱であり、それぞれ江原由美子氏、渡戸一郎氏、吉野耕作氏にご報告をいただき、討論者には西原和久氏、橋本健二氏にご登壇いただく。これらの動きを解明するためにいかなる文脈を引くべきなのか、さらにはどのような対抗的な立場を模索しうるのか。このテーマ部会において、現状を確実に踏まえた上で、討論のなかでこうした論点にまで踏み込むことができれば、と考えている。

第1報告

ジェンダー・フリー・バックラッシュとその背景

江原 由美子 (首都大学東京)

 この数年、主に国や自治体の女性行政に対し、一部の保守系の議員が、「これまでの女性行政のあり方は、生物学的性差を否定し、伝統文化や家族を破壊する内容を含む不適切な内容である」という趣旨の批判を議会などで繰り返し行っている。こうした批判の多くは、議員自身の直接的なヒアリングや調査に基づくものではなく、特定の雑誌や著書や新聞などの報道を根拠にしているものが多い。すなわち、たとえば、「一部の学校では、フェミニストの教員が、男女同室着替えを、ジェンダー・フリー思想に基づいて行っていて、生徒や保護者から批判が相次いでいる」等を述べている雑誌記事・新聞記事・著書の記載箇所を示すことによって、現代の国や自治体の女性行政の不適切さの論拠としていることが多いのである。さらに一部のメディアは、こうした批判がなされたことをさらに報道し、その報道があったことを根拠とした批判が再びなされるという形で批判や非難が、再度議会で繰りかえされている。その結果、女性行政だけでなく、学校教育・大学教育・学問も、非常に大きな影響を受けており、千葉県における女性センター閉鎖のような事態まで、生じている。

 以上のような社会現象は、特に保守系イデオローグやその主張を繰り返す政治家たちが攻撃攻象とする言葉である「ジェンダー・フリー」という言葉を用いて、ジェンダー・フリー・バッシング(GFBと略記)と呼ばれている。本報告においては、GFBがなぜどうして生じているのかを少しでも明らかにする為に、(1)GFBの主な担い手(2)GFBのねらい(3)GFBを歓迎する人々の社会心理等について、分析考察することを、課題とする。

第2報告

動員される市民活動?――ネオリベラリズム批判を超えて――

渡戸 一郎 (明星大学)

 「市民運動」ではなく「市民活動」というタームで括られるボランティア・NPO等のボランタリーな諸活動は、90年代以降、多様な広がりをみせ、近年では地域活性化や地域安全の担い手、若者の社会参加や第一次ベビーブーマーの地域帰還の“受け皿”などとして称揚・期待されている。しかし他方で、この間、各種ボランティアの制度化、NPOの法制化や中間支援組織の整備、さらに行政機関との「協働」政策の構築・展開などによって、「市民活動」は“動員”されるとともに、一定の“変容”を迫られているようにみえる。その背景にはグローバル化の進展と福祉国家の再編、ネオリベラリズム的なNPM型政策や「地方分権構造改革」の展開が存在しており、たしかにこうした政策動向を批判的に吟味することは重要性をもつ。しかしそれだけでは、今日的な「市民活動」の変容の局面を十分に捉えたことにならないだろう。そこで、本報告では、政策動向の分析作業にとどまらず、多様化する「市民活動」の内部におけるさまざまな“揺らぎ”や“分岐”を仮説的に抽出し、その暫定的な解釈を試みたい。

第3報告

若者の「保守化・右傾化」とナショナリズム
――社会調査を通して大学生と共に考える――

吉野 耕作 (上智大学)

 若者は右傾化・保守化していると言われる。本報告では、こうした言説に対する若者自身の反応を念頭に置きながら、現状を理解するための社会学的な接近法を模索したい。
この分野における先行文献としては、評論風のものやメディア論の立場から書かれたものはあるが、2つの意味で限界がある。第1に、方法論的に脆弱な土台の上に立っている。第2に、メディアの中のテクストの解釈に終始しているため、社会との関係に目を向けていない。いずれも、社会的過程の分析に踏み込んでいない。

 こうした限界を超えるためには実証的な試みが不可欠である。報告者は大学教育の一環として行った社会調査を通して若者と共に考える貴重な経験をした。本発表では、まず、若者の右傾化・保守化に関する言説を若者の視点から問題視する取り組みを紹介したい。
保守化・右傾化は、特定の問題群を設定すると、ナショナリズムの問題としてとらえることができる。ナショナリズムを理解するためには、それを展開させている社会的過程の分析が肝要である。報告者は1980年代から90年代にかけて、国家主導型ナショナリズムと市場型ナショナリズムを分類し、ナショナル・アイデンティティが再生産、消費される市場過程に注目する意義を論じた。現在、その2つのナショナリズムの接合が起きようとしている。こうした現状を理解するためには、市場、消費社会の諸場面における文化的仲介者の活動に注目することが鍵となろう。消費社会に組み込まれている若者(大学生)自身が身の回りの社会的文脈でこの設問を模索した取り組みを紹介しながら、現代日本のナショナリズムを論じてみたい。

[参考文献]
東京大学文学部社会学研究室編『ナショナル・アイデンティティの社会的文脈―2003年度社会調査実習報告書』2004年。
上智大学社会学科吉野ゼミ編『若者は右傾化しているのか―2005年度吉野ゼミ報告書』2006年。
Kosaku Yoshino, ‘Rethinking theories of nationalism: Japan’s nationalism in a marketplace perspective’, in Kosaku Yoshino (ed.), Consuming Ethnicity and Nationalism: Asian Experiences, London: Curzon Press/ Honolulu: The University of Hawaii Press, 1999.

報告概要

岩上 真珠 (聖心女子大学)

 テーマ部会B「『保守化』を検証する」は、大会2日目の6月18日(日)に慶応大学で開催された。同時間帯に開催されたもう1つのテーマ部会A「若者のコミュニケーションの現在」と問題意識において相通じるところもあり、A・B2つの部会を行き来している参加者も散見された。

 報告者は、江原由美子(首都大学東京)、渡戸一郎(明星大学)、吉野耕作(上智大学)の3氏で、それぞれ、ジェンダーの視点(「ジェンダー・フリー・バッシングとその背景」)、市民活動の視点(「動員される市民活動?−ネオリベラリズムを超えて」)、ナショナリズムの視点(「若者の『保守化・右傾化』とナショナリズム」)から、力感のある報告があった。江原氏は、メディアと一部の政治家が連繋し、行政がそれに過剰反応しているが、はたして「一般市民」が保守化しているといいうるだろうか、と疑問を呈した。渡戸氏は、この10年間での市民活動の変容・変質を紹介しながら、「活動」が次第に行政に取り込まれている構造についてさまざまな論者の言説を詳細に検討しつつ、そうした事態を今後どのように乗り越えうるかについての方向性に言及した。また吉野氏は、東大と上智大でゼミの実習として行った実証研究をもとに、サッカーの試合や靖国参拝で見られるとされる若者の「保守化」が、実はメディアと市場によって仕組まれていることを示しつつ、社会過程の実証分析が大事だと論じた。

 上記の報告に対して、西原和久氏(名古屋大学)からは、こうした論点における社会学的分析の必要性と、グローバル化の中の日本という軸で見るとどうなるかという点について、また橋本健二氏(武蔵大学)からは、今日の「保守化」の階層的背景、およびネオリベラリズムとナショナリズムの関係について、それぞれ論点を進化させる興味深いコメントがなされた。

 各報告者およびコメンテータが共通に言及したのは、「保守化」という現象に対する社会学的分析の必要性とその研究方法論であった。最後にフロアーからの玉野研究委員長の、全体的に保守化しているようにみえて、実はそうではないことがわかった。この現象にアプローチするには、社会過程の分析が必要であるという発言が、今後につながる本部会の成果を集約していたと思われる。

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