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年次大会
大会報告:第57回大会 (報告要旨・報告概要:テーマ部会B)


テーマ部会B 「『生きられる歴史』への社会学的接近」  6/21 14:30〜17:30 〔共通講義棟2号館101室〕

司会者:大出 春江(大妻女子大学)、菊池 哲彦(尚絅学院大学)
討論者:桜井 厚(立教大学)、野上 元(筑波大学)

部会趣旨 野上 元(筑波大学)
1. エスニシティに織り込まれる「歴史」――アメリカ日系人における「世代」の言葉 南川 文里(神戸市外国語大学)
2. 多摩ニュータウンにおける経験の多層性[PP] 金子 淳(静岡大学)
3. 歴史のなかの生きられた経験――まなざしの勾配、語りの曲率を通して 内田 隆三(東京大学)

報告概要 小林 多寿子(担当理事・日本女子大学)
部会趣旨

部会担当: 野上 元(筑波大学)

 学問としての社会学の営みのなかで、「歴史的に考えること」「歴史に向き合うこと」はどのような意味を持ち、どのような可能性を与えてくれるのだろうか。「歴史的資料」が社会学に与える想像力のありようについて考えようとした昨年度大会のテーマ部会「社会学における歴史的資料の意味と方法」に引き続き、本年度のテーマ部会でも、「歴史」に取り組む社会学の試みをいくつか紹介し、コメントも交えてお互いが刺激しあうような場を設けることにしたい。

 その際キーワードとなるのが、「生きられる歴史」である。ここで「歴史」とは、個別の生(ライフ)や経験に緊密に関係しながら、それに外在してもいるような過去の事実(とそれをめぐる人々の集合的な想念)である。そう考えると、「生きられる歴史」という言い方は、非常に危ういものでもあるのだけれども、本来個別の存在である私たちの社会性や社会認識が現在で完結せず、過去や未来と関係しているありようを浮かび上がらせるための観念として、その危うさをしばし大事にしてみたい。

 もちろんそれは具体的な取り組みのなかで認められるものであり、3月に開催された研究例会でも、「三里塚闘争」「ドイツ統一」といった歴史的なできごとを経験した/している人々にとって、それらがどのように「生きられて」いるかが主題となった。

 そして今回のテーマ部会では、それぞれ「生きられる歴史」に別の角度からアプローチされているお三方に登壇していただく。まず、『「日系アメリカ人」の歴史社会学』の著書がある南川文里氏(神戸市外国語大学)には、社会編成の原理としてのエスニシティ概念に織り込まれる「歴史」について、また『博物館の政治学』の著書がある金子淳氏(静岡大学)には、「ニュータウン」という歴史の空白(/破壊)のうえに積み重なり始めた人々の多様な経験について、そして『国土論』の著書がある内田隆三氏(東京大学)には、過去のできごとを構成する記述に対する詳細な観察のなかから生きられた経験を取り出してゆこうとする作業について論じていただく予定である。

 またコメンテーターとして、桜井厚氏(立教大学)にも登壇いただくことになっている。もう一人のコメンテーターは私が務めるが、全く方向の異なったそれぞれのアプローチから、「生きられる歴史」の社会学的な含意において議論が大いに盛り上がることを期待している。

第1報告

エスニシティに織り込まれる「歴史」――アメリカ日系人における「世代」の言葉

南川 文里(神戸市外国語大学)

 エスニシティという概念は、「○○のエスニシティ」と表現されるような個人や集団が有する文化的な特性として、アイデンティティを構成する属性の一つと考えられることが多い。しかし、アメリカ社会におけるエスニシティは、20世紀半ばに「発見」され、多元的統合という政治的理念と結びついて浸透してきた。本報告では、アメリカ日系人の事例を中心に、エスニシティという概念が、個々人の経験を意味づけ、多くの人々を動員する社会的な力をいかに獲得したのか/し損なったのかを考え、その社会学的な課題を再検討したい。そこで、1960年代から70年代にかけての「エスニック・リバイバル」時代に、日系人団体と研究機関が「公式の日系アメリカ人史」を描こうとした日系アメリカ人研究プロジェクト(JARP)の展開に注目する。
JARPは、日系人団体の政治的関心と社会科学者の学術的関心が交差するなかで、「日系アメリカ人」にとってのエスニシティをめぐる枠組を形作ったが、そこで重要な役割を果たしたのが一世や二世などの「世代」という考え方であった。この「世代」を軸として、アメリカ日系人の移動や定着をめぐる経験は、「日系アメリカ人」という主体による「エスニックな歴史」として織り込まれた。同時に、「日系アメリカ人」をめぐる解釈枠組は、公民権運動以後のアメリカ社会における多元主義的社会観と連動しながら、個々の日系人が「生きる」社会的世界を再帰的に構成し、さまざまな社会運動や表現活動を導いた。
以上の議論を通して、エスニシティという概念を、マイノリティ側に帰せられる特性としてではなく、ある種の社会編成の原理として再定義し、その「歴史」をめぐる感覚に対していかに対峙するかという課題について考えたい。

第2報告

多摩ニュータウンにおける経験の多層性[PP]

金子 淳(静岡大学)

 郊外ニュータウンにおいては、しばしば開発前と開発後の歴史の断絶が指摘される。とりわけ日本最大のニュータウンである多摩ニュータウンでは、その圧倒的な規模ゆえに歴史の「空白」が前景化され、その「空白」以後の再生に照準した議論が多い。ところが実際には、既存の農村地帯が開発されていく過程で新旧住民の混住化も同時に進行していったため、単なる「空白」としてではなく、それぞれの立場での個々の経験に基づきながら、開発前/開発後の連続性が意識されてもいた。
 開発の中を生き抜いてきた人々の経験は一様ではない。いわゆる「旧住民」と「新住民」との間で大きな隔たりがあるのは当然だが、たとえばかつて農業を営んでいた「旧住民」の中でも、開発に直面した時点の年齢や経済的階層、営農規模などによって、都市近郊農業としての見通しには大きな差異があったため、開発への向き合い方やその後の経験も大きく異なっていた。
 同様に、複雑な事情や思いを抱えながら前居住地からやってきた「新住民」も、その経験は多様である。また、1971年の入居開始以降に生まれ育った、いわゆる「ニュータウン第二世代」においては、ニュータウンへの距離感はその前の世代と決定的に異なっている。さらに、同じニュータウン住民であっても、初期入居者に対して、さらに新しく移り住んできた人々が「旧住民」と呼ぶケースも増えており、新旧住民の境界すら必ずしも自明ではなくなっている。
 一方、近年では、開発前/開発後という歴史の「空白」を埋めるために、新たな「歴史」が呼び出され、それを地域の再編原理として機能させようとする試みが増えていることにも注目する必要がある。歴史の「空白」を補い、街の活性化のために別の「歴史」が動員されることの意味とは何なのか、そして、多層に積み重なる個々の具体的な経験をどのように共有し、その累積をいかなる方法で記述していくことができるのか、いくつかの事例をもとに考えてみたい。

第3報告

歴史のなかの生きられた経験――まなざしの勾配、語りの曲率を通して

内田 隆三(東京大学)

 長いスパンを取って人々のまなざしのありようや語りの構造をみると、遠い過去と現在のあいだには相当な差異があることに気づく。この差異を仮に歴史と呼ぶなら、人々は過去との関係でいつもこうした歴史を生きている。だが、ある時代のまなざしや語りの状態、そしてその変化の仕方を、一括して捉えることはむつかしい。実際には、事物に即した、いくつもの小さな歴史がある。たとえば椅子なら、椅子を同定するまなざしがあり、椅子について語る言葉があり、椅子という物質的な事実性があり、そしてこれらのまなざしや言葉や事物の布置が独自の変化を引き起こしていく過程がある。同じことは家具だけでなく住居や、建築物、都市など、他の事物にもいえるだろう。
この報告では、事物というよりも、ある存在の形式をめぐるまなざしや語りについて考えてみたい。その存在というのは近代で最初の「東宮」であり、この「東宮」の存在を媒介とした幻想的な経験、つまり象徴的な憧れや畏怖の経験を構成した、まなざしの勾配や語りの曲率に光を当ててみたい。今日から見れば、それらの〈歪み〉は何か奇妙なものに見えるが、人々のまなざしや語りは自身の〈歪み〉を自覚していたわけではない。むしろそれらの〈歪み〉を通して、人々の生きられる経験が微妙な起伏を描くのである。
実際、東宮・嘉仁殿下(後の大正天皇)は、人々の象徴的な期待を微妙に交わしながら、各地「巡啓」の旅を続ける。「観風察物」という――黄門漫遊記が真似るような――目的のもと、東宮はその言葉や、身振りや、行動のうちに等身大の存在を垣間見せる。神と人とのあいだを揺れる行動には「龍身魚服」という言葉が宛がわれ、人々の胸中には不敬にも似た困惑と深い感銘の想いが融合する。「天皇の肖像」を結像した近代の政治学と相関する人々のまなざしや語りは、東宮の気侭で気さくな人柄の投影によって、逆にその〈歪み〉(=コード)を照らし出される。その〈歪み〉が緊張の極を迎える瞬間、コードを剥奪されたような、人々の不意の表情が映し出される。

報告概要

小林 多寿子(担当理事・日本女子大学)

 テーマ部会Bは、昨年度、社会学の歴史的な研究における「方法」や「資料」について考えた企画「社会学における歴史的資料の意味と方法」に引き続き、「歴史」に取り組む社会学をめぐる諸問題について検討する時間と場を共有することをめざして、「『生きられる歴史』への社会学的接近」を本年度のテーマとした。一年目にさまざまな歴史的な資料の利用可能性と社会学的な想像力の関係を検討したことを受けて、人びとの「ライフ」と歴史がいかに結びあわされるのか、あえて歴史社会学に限定せずに、いかなる議論が交わされうるのかを問いかける場を作り出すことをめざした。

 部会の主旨として、あらかじめつぎのような問いかけを発している。

 共同体の物語としての「歴史」と、個人の物語としての「人生」とのあいだに、何か検討しておくべき社会学的な問題はないだろうか。「歴史」は、あきらかに個人の「ライフ」のスケールを越えた想念ではあるが、決して両者は無関係でもなければ、あるいはどちらかがどちらかを一方的に規定しているわけでもない。戦争や革命を始めとする数々の歴史的なできごとが、個々の「ライフ」のなかでどのように意味づけられ、あるいは人生の物語化のために呼び出されているのかを考えてみたい。

 そこで、多様な現場を考察のフィールドとしている三人の報告者をむかえ、それぞれの研究対象のなかで、人びとの「ライフ」が「歴史」と結びあわさったとき、その「生きられる歴史」はいかに理論的・社会記述的な社会学的研究へ拓かれていくのか、三人の研究のなかからその可能性を紡ぎだしてみようという試みであった。

 南川文里氏(神戸市外国語大学)、金子淳氏(静岡大学)、内田隆三氏(東京大学)の三報告は、本部会の主旨を見事に表現してくれるものだった。まず南川氏の第一報告「エスニシティに織り込まれる『歴史』―アメリカ日系人における『世代』の言葉―」は、日系アメリカ人にとっての「一世の歴史」が必要とされた状況を考察し「アメリカ人」を強調したJACLがエスニックな歴史に関心をもつときエスニシティが歴史に織り込まれるときであったのではないかと論じる。たしかに日系アメリカ人社会にとって「世代」概念はそのコミュニティの「歴史」と不可分の関係にあり、その点で「世代」が作り出すエスニックな社会編成が「歴史」の場として注目されることが説得力をもって示された。また金子淳氏(静岡大学)による第二報告「多摩ニュータウンにおける経験の多様性」は、開発の歴史のなかで生き抜いてきた旧住民の経験と郊外住宅地として移り住んだ新住民の経験を突き合わせながら、ニュータウン二世の高い愛着度や新たな「伝統」の創造のあり様を示して、現在のアイデンティティ獲得のためのツールとして「開発前の歴史」が動員されるという興味深い指摘をされた。多摩ニュータウンの変容と現在を多くの貴重な視覚資料をパワーポイントで紹介しながら開示してくれたとおもう。さらに内田隆三氏(東京大学)の第三報告「歴史のなかの生きられる経験―まなざしの勾配、語りの曲率を通して」は、大正天皇に関する現代の二つのまなざしを手がかりに大正天皇をめぐる視線や叙法のなかに政治的文脈との交差やメディアの関与性を問いかけつつ、当時のさまざまな史料を詳細にかつ豊富に引用して「叙法」という概念で複層的な語りの展開を鮮やかに示してくれた。「生きられた経験」に近づくには実は集合的に「生きられた経験」を問題にしなければならないのではないかという鋭い指摘は、「生きられる歴史」を考えようとする本テーマの核心を突くものであったと思う。

 三人の報告はどれも興味深いものであったが、討論者である桜井厚氏(立教大学)、野上元氏(筑波大学)の両氏はそれぞれ議論の構成をさらに立体的にしてくれた。桜井氏から出された各報告者への丁寧なコメントはまとめるとマスター・ナラティヴの変化あるいは文脈の問題であり、歴史的出来事を扱うときの資料論への問いであった。また野上氏からは企画の主たる立案者として三者に対して「生きられ"る"歴史」とした意図をふまえて社会と歴史の関係をあらためて問いかけられた。報告者の真摯なリプライが交差し、社会学が「歴史」をいかに考えることができるのか、いかに社会学的接近が可能なのかという問いがあらためて現前化されたとおもう。当日は小雨のぱらつくあいにくの梅雨空であったにもかかわらず、会場には大勢の参加者があった。企画趣旨を見事に汲み上げ鮮明な視角で豊穣な議論の場を作り出してくれた三人の報告者と参加者に深謝いたします。

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