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年次大会
:第60回大会 (報告要旨・報告概要:震災特別セッション1)


震災特別セッション1 「3.11アフターマス ―有事におけるポピュラー文化の存在意義」〔11号館5階 1151教室〕

司会:宮入 恭平(東京経済大学)

セッション主旨 宮入 恭平(東京経済大学)
1. 東日本大震災で「お笑い」はどのような被害を受けたのか―吉本興業を事例とした一考察 瀬沼 文彰(西武文理大学)
2. 「夢」のドキュメントの存立構造―光と影の社会学と「光と影の社会学」の社会学 片上 平二郎(立教大学)

報告概要 準備中
セッション主旨

コーディネーター:宮入恭平(東京経済大学)

 研究者として、またミュージシャンとしてポピュラー音楽にたずさわっているわたしにとって、2011年3月11日に発生した東日本大震災(3.11)は、それまで抱いていた価値観を揺るがす契機となった―ポピュラー音楽の存在意義とは何か?
 3.11発生直後、日本国内では「自粛」や「不謹慎」といった言説が正当化されるなか、余剰としてのポピュラー音楽という論調が優勢だった。ポピュラー音楽シーンでは、予定されていた多くのコンサートやイベントが中止や延期になり、新譜CDの発売が見送られた。その後、「自粛」や「不謹慎」に取って代わった「がんばろう!日本」や「絆」といった言説のもとで、チャリティを掲げたイベント、オムニバスCDや楽曲配信などによる収益が、被災地や被災者への義援金に充てられるようになった。そして、3.11から10ヵ月が経過した現在では、3.11発生直後には優勢だった余剰としてのポピュラー音楽という論調は希薄になり、ときにはチャリティという言葉が単なる記号となって、3.11以前と変わることなく、音楽産業がつくりだした商品としてのポピュラー音楽が消費されている。
 そもそも、有事の際に必要性が問われる運命にあるポピュラー音楽、さらに広くポピュラー文化は、人びとが必要最低限の日常生活を送るうえで、あくまでも余剰のものにすぎない。ましてや、「今日を生きること」にさえ途方に暮れる人びとにとって、余剰として存在しているポピュラー文化は、生きるために必要不可欠なものから真っ先に除外されてしまう―ポピュラー文化で雨風を凌げることもなければ、空腹が満たされることもないのだ。
 本セッションでは、自明のものとしてとらえられてきたポピュラー文化の規範―文化産業がつくりだす商品としてのポピュラー文化の消費―を問い直しながら、有事におけるポピュラー文化の存在意義について議論しようと考えている。

プログラムはこちら

第1報告

東日本大震災で「お笑い」はどのような被害を受けたのか―吉本興業を事例とした一考察

準備中

第2報告

「夢」のドキュメントの存立構造―光と影の社会学と「光と影の社会学」の社会学

準備中

報告概要

準備中

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