似田貝 香門 (常任委員・前研究担当・東京学芸大学)
第37回関東社会学会は、去る6月17日(土)・18日(日)の両日、上智大学で開催され、盛会の内に終えることができました。開催校の御好意により本年も両日開催で行なわれ、3年続けてこの様な日程で充実した大会を持つことができるように成り、今後の学会大会に定着しそうであり、非常な喜びを持つことができました。大会参加者は191名(会員114名、非会員77名、2日間の延べ人数で約300名)でした。 本年はシンポジュウムを開催せず、4つのテーマ部会をもうけた。例年の部会設定でいえばジェンダーに関する部会Tは、本年は、「女子の進路選択プロセスとその規定要因をめぐって」で、中等教育後の進路形成過程、女性の教育や職業のアスピレーションやその達成のあり方。ライフコースと就業パターンについてそれぞれ専門的に研究されている方々から報告を受けた。思想としてのジェンダー論から、より具体的―経験的な社会学研究を目指したこの部会は当然既存の研究方法の視点やデータ処理の手続きの中に暗黙の内に設定されている男の世界像を反省的―批判的に捉えることが具体的には必要なことなどが今後の課題として残された。 社会学における現代国家論は今年で3年目を迎え、「現代国家と社会政策」部会(部会U)としては今年が最後のまとめを行うこととなった。日仏の新幹線建設過程をミクロ主体の意思決定の領域からの比較、都市自治体の社会学的財政分析から都市政策と住民諸階層の生産=再生産の関わりについて、80年代の通称産業政策の形成と国家の「脱国民国家化」の関わり、等が報告された。十分に論議がかみ合ったわけではないが、現代の国家のようなマクロの主体の役割を社会学がどの様に問題にして行くかについて多義的な討論があり、今後の研究の1つの領域を提供したことにはまちがいない。 2年目となった社会理論部会(部会V)「社会理論のフロンティア」は、意味と社会システムについて若手の研究者の報告を受けた。意味の理論はどの様にしてあるいはいかなる必然として社会理論たりうるか、意味を主観性の世界から共同存在のありかたから理解し、意味と規則の二分法を克服しようとする試み、社会事象とその相互作用を意味連関としてとらえる社会意味論の検討等、昨年の「自己組織性と言語ゲーム」の問題提起を一層詰める作業がささやかながらすすめられた。 部会Wの「エスニシティと都市社会」は、昨年はいわば問題提起であったとするならば、本年はエスニシティ概念そのものを俎上に乗せながら急増加しつつある外国人の日本社会や都市社会にたいする影響を、エスニシティ概念の有効性と限界について、在日韓国・朝鮮人の宗教、池袋地区のNEWCOMERSとしてのアジア系外国人問題、等が報告された。現代都市社会研究にとって産業構造の変動とその国際的影響力(とりわけアジア諸国へのかかわり)やコミュニティ居住者にとしての外国人の問題等をどのように結びつけるかなどさまざまな問題が山積みしているが、会場での論議は前年にもまして白熱しており、来年も何等かのかたちで国際的諸問題を内包した社会学的研究報告が期待されよう。 今期の研究委員会がテーマ設定を行い、多くの会員の参加と新会員の学会への参加を意図としてきた、この2年間のテーマ部会はそれぞれ多くの会員を集めたので、一応成功したと思っている。また今年の自由報告は若手による音楽社会学の理論や経験的調査、しばらく若手に報告されなかった家族の機能や社会史への再関心、メディア論による権力論や抑圧論への関心がミクロ、マクロ両レベルで報告され、少しずつ自由報告部会は新しい研究動向の発信機能を持つようになってきたといえよう。これは昨年から刊行した学会誌の存在と地道に続けられてきた研究例会のプラスの影響と無関係ではないと思う。今大会で今期の研究委員会の役割は終わり、次期委員会の方々に一層の発展をお願いしたいと思う。 最後になりましたが、今大会の成功のために尽力された上智大学の関係者の方々にあらためて感謝を致します。