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年次大会
大会報告:第58回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第7部会)


第1報告

ポスト・コロニアル国家におけるネイティブ・アイデンティティ――ミルパ・アルタ地区のフィールド調査に基づく研究ノート

岸下 卓史(立教大学)

本報告の目的は、メキシコ市南東部に位置するミルパ・アルタ(以下、M.A.)地域のフィールドデータとメキシコ人研究者によるM.A.に関する先行研究を基に、過去の徹底的な植民地化と、その後のインディヘニスモ(先住民擁護の思想)政策の実施を踏まえて、メキシコにおけるネイティブ・アイデンティティの今日的現状を暫定的に明らかにすることにある。

メキシコが国民国家として成立する時点で、クレオール(B. Anderson 1991)は先住民を統合することを志向していた。その後、国民統合のために、混血イデオロギーと先住民文明のシンボル化が公的な政策として採用された。しかし、結果として、そうした政策は、歴史的に従属的な項であるネイティブ的帰属からより優越したヨーロッパ的帰属への移動という結果しかもたらさなかった(Bonfil Batalla 1972)。それが、メキシコのマジョリティであるメスティーソによる自らの先住民性の否定と、ねじれた彼らのアイデンティティへと帰結したのである。そして、モダニティの徹底化した今日、「再帰性」(A. Giddens)はサパティスタの反乱に象徴されるようなかたちで、メキシコ(人)にネイティブ・アイデンティティを再検討するように強いている。

報告者が実施した現地調査で得られた語りのデータは、先住民性への内的な劣等感とともに、先住民の地域固有の誇りをも内包したミルパルテンセ(Milpaltense)というメキシコの帰属意識の新たな在り方をも示唆している。

第2報告

イタリアの移民政策の近年の動向――「インターカルチュラルな統合」という方向性をめぐって

秦泉寺 友紀(和洋女子大学)

従来はヨーロッパ有数の移民送り出し国であったイタリアだが、1980年代半ばに移民の送り出し人数と受け入れ人数が逆転して以降、1990年代にはイタリアを目的地とする移民が大幅に増加し、2009年現在、その数は全人口の約6.5%に相当する389万人(前年比46万人増)に及んでいる。こうした背景のもと、急増する移民にいかに向き合うかは、選挙の際には争点となるなど社会的関心を集めているが、政権与党は選挙のたびに中道左派と中道右派とが入れ替わり、移民政策は揺れ幅の大きいものとなっている。他方、現在イタリア生まれの外国人の子弟数は52万人、小学校で外国人生徒が占める割合は7%近くに達するなど、移民第二世代も成長しつつある。本報告では、近年イタリアで新たに議論されるようになった「インターカルチュラルな統合(integrazione interculturale)」という方向性について、90年代から現在にいたるイタリアの移民政策とともに検討する。この方向性は、移民の受け入れに関し先行する経験をもつオランダやデンマークなどで、多文化主義に行き詰まりが生じていると伝えられるなか、特に2000年代に入りイタリアでも議論され始めた、移民とイタリア人とが固有の文化的特徴を交差させることで、相互に変化し、新たなかたちの統合をめざすという立場である。近年イギリスやドイツでも議論されているこうした方向性の、イタリアにおけるあり方とその困難を、イタリア固有の文脈、社会的背景に照らしながらみていきたい。

第3報告

市民社会における〈移民の記憶〉――フランス・リヨンの事例から[PP]

田邊 佳美(一橋大学)

本報告は、フランス・リヨンにおいて〈移民の記憶〉をテーマに活動を行うアソシエーションを事例に、市民社会における〈移民の記憶〉のあり方を明らかにする。

フランスでは1980年代以降、記憶や「記憶の場」という概念が一般化し、その社会的・政治的な意味をめぐり特に歴史学・社会学の分野で議論が活発化したが、〈移民の記憶〉はその対象にはならなかった。また〈移民の記憶〉は、移民の家族およびコミュニティのなかで積極的に伝達されることはなく、特に移民の子どもたちが「記憶の欠如」と葛藤してきたという指摘がなされている。このような背景から、1980年代後半になると個人の移民とその子ども、およびアソシエーションの側から、〈移民の記憶〉に対する「要請」がフランス各地で見られるようになる。

修士課程において報告者は、このような市民社会の「要請」から2007年に生まれたとされる博物館、国立移民史シテ設立のポリティクスに着目した。しかしながら、国家により再構築された〈移民の記憶〉はその一面でしかなく、またそれが「統合主義(int?grationiste)」的な側面を持つことも指摘されている。

そこで本報告では、フランス・リヨンにおけるアソシエーションの〈移民の記憶〉の活動に着目し、国家によって定義される〈移民の記憶〉とは異なる、市民社会における〈移民の記憶〉のあり方を明らかにすることを目的とする。

第4報告

フランスの旧インドシナ難民の受入れ過程と共和主義

鈴木 美奈子(一橋大学)

本報告では、旧インドシナ難民の受入れ過程の特徴を共和主義の観点から検討する。フランス共和国は、個人と国家の直接的な関係を軸とした国家統合モデルを堅持しており、そこにおいて個人のエスニックな差異や人種などのいかなる属性も無化されてきた。

しかしながら、旧インドシナ難民の受入れ過程を歴史的に紐解いていくと、19世紀のフランスにおいて、文化的類似性を尺度とした「同化」の是非が議論され、また、第一次世界大戦では、フランス植民地の現地人(Main d'Oeuvre Indigène)を戦争に動員する際、人種的カテゴリーに沿った戦略を立てていた。戦後、一貫してタブー視されてきた「人種(race)」は、フランスの国民国家形成過程で政策的に用いられてきたのである。「同化」が語られる時、対象となる集団のエスニック、人種的な特徴が常に争点となってきたと言える。また、フランスの難民受入におけるインドシナ難民の受入れは、「例外的受入れ」と表現されてきた。

そこで、旧インドシナ難民の受入れ過程の考察を通じて共和主義の恣意性について指摘し、そのレトリックを示す。