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年次大会
大会報告:第58回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第8部会)


第1報告

健康知識の生成・伝達・需要のルート――場所と健康知識への主観的意味づけの関係

熱田 敬子(早稲田大学)

本報告では、首都圏と東北地方郡部A町で行われた健康に関するインタビュー調査をデータとし、人々の主観的な空間配置と、健康に関する知識への意味づけの関係を分析する。

健康に関する知識はどこで生まれると考えられ、どのような場所と関連づけられて語られ、その運び手は誰・何なのだろうか。どのような経路で伝えられるのだろうか。また、インターネットやテレビのような空間的・地理的制約を受けにくい媒体を介して伝えられた情報は、実際の生活空間の中で、どのように健康行動に反映されるのだろうか。

一例をあげれば、「塩分」の制限という知識は、「役場」という場所から、「保健婦」・「婦人会の役員」という運び手を介して、塩分を測る道具という形態をとって家庭の「台所」へ持ち込まれていた。これは、極めて公的な性格をもち、地域コミュニティの政治的中心部と位置付けられる「役場」という場所から、私領域の再生産の現場への、一つの知識のルートである。

フェミニスト地理学などの蓄積によれば、空間認識は権力関係を反映する。本報告は、都会と村ということなる意味づけをもち、公/私の領域の境界のあり方が異なるであろう二つの場所を比較することで、健康に関する権力の主観的な空間配置を読み解くことを目的とする。

第2報告

「臓器移植法改正」論議における「脳死」と「バイオエシックス」

皆吉 淳平(芝浦工業大学)

2009年7月に「改正臓器移植法」が成立し、2010年7月から全面施行となった。本報告では、「脳死は人の死」とする考え方をめぐる歴史的現在として、2009年の「改正」に至る論議をとりあげ、そこでの「バイオエシックス」の位置づけについて検討する。「脳死は人の死」という考え方は、1960年代に「臓器移植」の必要性から生み出されたということは周知のことである。それに対して、1980年代から90年代にかけての「脳死」論議においては、「なぜ脳死は人の死なのか」ということが公共的な議題となり、様々な理由付けがなされてきた。それらの理由を大別すれば「科学」「理論」「感情」「臨床感覚」「社会的要請」ということになる。なかでも「科学」的な理由付けをめぐっては、1997年以降、アメリカを中心とするバイオエシックスの議論において、その正当性に疑問が呈されるようになっていた。しかし日本における2009年の「改正」論議では、こうした「科学」的な理由付けをめぐるバイオエシックスの研究蓄積がほとんど参照されることがなかった。近年、アメリカのバイオエシックスが進展した特徴として「公共的な議論」があったことが指摘され、「パブリック・バイオエシックス」という側面が重視されている。日本の「生命倫理」においても、1980年代以降の「脳死」論議は、まさにこうした「公共的」側面を有するものであった。しかしながら「改正」論議には、こうした「公共的」側面の内実を切り崩すものであった。以上のように2009年の「臓器移植法改正」論議は、「脳死」と「バイオエシックス」の現在を検討する上で、一つの転換点となっていた。本報告では、バイオエシックスの歴史研究(メタバイオエシックス研究)の視点から「改正」論議をめぐる言説をとりあげる予定である。

第3報告

主観的健康を左右するもの――身体的制約に対する意味づけをめぐって

飯田 さと子(地域社会振興財団/自治医科大学)

本報告では、首都圏と東北地方郡部A町で行った健康に関するインタビュー調査の結果をデータとし、身体的制約、なかでも「身体が思うように動かないこと」に対する人びとの意味づけと、主観的健康観との関連について分析する。

これまで、健康であることは多くの場合で無条件に良い/目指すべき状態とされ、ポジティブに語られてきた。そして、健康が定義される際には、疾病の有無と、身体的制約としての障害の有無という2つの評価軸が中核に位置づけられてきた。これらをもとに考えたとき、人々にとって、「身体が思うように動かないこと」は非/不健康な状態と結びつけられ、かつ、ネガティブに意味づけられると予想される。

ところが、インタビューにおいて明らかになったのは、人々の主観的な認識において、「身体が思うように動かないこと」は必ずしも非/不健康な状態と結びつくものではなく、また、常にネガティブな意味を付与されるものでもないということである。注目したいのは、入院や手術の経験があり、医学的・リハビリテーション的見地からは比較的健康度が低いと判断されるであろう人びとが、そうでない人びとよりも自らの身体的制約をポジティブまたはニュートラルに語る傾向があったということである。

本報告では、このような語りの多様性が生じた背景について、医療社会学や障害学の蓄積、とくに重度/軽度障害者の、身体的制約に対する主観的な意味づけに関わる議論を参照しながら考察を行う。

第4報告

「被害」を構築する関係――ハンセン病違憲国家賠償訴訟における弁護士の専門性と役割――

青山 陽子(東京大学)

 本研究の目的は、弁護士へのインタビューとその裁判記録を元に、訴訟を通じて患者らの「被害」が、どのように構築されていったのか、その過程を明らかにするとともに、新しい形の訴訟形態がもたらした弁護士の役割への問いを考察することにある。

 「被害に始まり、被害に終わる」。この言葉は、賠償訴訟における法廷戦術の基本として語られた言葉である。「被害」の立証を行い、勝訴へと導くことが弁護士本来の役割であるが、弁護団は、この裁判は金銭による賠償だけではなく、元患者たちの将来の在園補償や社会復帰政策を見据えた「政策形成訴訟」であることを強調し、原告の掘り起こしを行った。また、「政策形成訴訟」であるからには、世論の巻き込みは欠かせないとして、メディアを積極的に活用することを、戦略的に位置づけたことも特徴としてあげられる。

 しかし、一方で、隔離という苦境を生き抜き、生活改善を求めて共に立ち上がり、今の生活を勝ち取ったという独自のリアリティを持つ元患者たちにとって、自らを「被害者」として同定し、受動的な犠牲者の物語を語ることに距離を感じる者も少なくなかった。

 判決から約10年。司法という限定された空間で作られた「被害」の言説は、今では元患者たちの人生を表象するマスター・ナラティブへと発展した。「政策形成訴訟」という新しい形の訴訟に挑む過程で成長したこの物語を、自らの専門性との関係で弁護士たちは、どのように捉え、振り返っているのかについて報告する。