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年次大会
大会報告:第59回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第4部会)


第4部会:社会学理論の現在

司会:宇都宮 京子(東洋大学)
1. ソーシャル・キャピタル論の二潮流とその問題点[PP] 小山 弘美(首都大学東京)
2. ギデンズ社会理論の生物学的根拠についての一考察[PP] 三原 武司(流通経済大学)
3. パフォーマティヴィティ概念を再構築する――バトラーのブルデュ批判を越えて 長野 慎一(東洋大学)
4. フランクフルト学派の科学論――科学技術社会論または科学社会学にむけて[PP] 川山 竜二(筑波大学)
5. リスク回避消費とナルシシズム[PP] 本柳 亨(早稲田大学)
第1報告

ソーシャル・キャピタル論の二潮流とその問題点

小山 弘美(首都大学東京)

学際的に展開されるソーシャル・キャピタル論はR.D.パットナムに代表されるコミュニティ研究と、N.リンやR.バートなどのソーシャル・ネットワーク研究の主に二潮流にわける事ができる。これら二潮流へ1980年代のP.ブルデューとJ.S.コールマンのソーシャル・キャピタル論がともに影響を与えているが、この二人の方法論的相違についてはほとんど触れられる事がない。ブルデューは方法論的集合主義に分類されるであろうし、コールマンは意図的に方法論的個人主義に徹している。この方法論的相違は、社会学の歴史において脈々と続いてきた立場の違いであり、二人のソーシャル・キャピタル理論に大きな相違を生みだしている。

本報告は、コールマンの立場に立ち、その理論的枠組を用いる。コールマンはソーシャル・キャピタル概念によって、ミクロ−マクロリンク構造を説明し、上記の方法論的相違を乗り越えようとしていた。このようなコールマンの意図をその後のソーシャル・キャピタル論はどれだけ引き継いできたのであろうか。結論から言えば、ネットワーク論者はマクロ構造が個人(ミクロ)に与える影響と、個人の反応に留意するが、個人の行為がマクロに与える影響を勘案していない。一方のパットナムは「ソーシャル・キャピタル」が個人に与える有用性を示し、個人を市民参加させてマクロ構造に変革を起こそうとしているが、合理的な個人がそこに向かうのかを注視していない。コールマンの意図に立ち戻る事によって、二潮流それぞれの問題点を乗り越える可能性を示す。

第2報告

ギデンズ社会理論の生物学的根拠についての一考察

三原 武司(流通経済大学)

 本報告では、アンソニー・ギデンズの社会理論の生物学的な根拠について考察する。

 社会学の古典的研究や階級構造化の理論に取り組んでいたギデンズは、1970年代から80年代にかけて、解釈学、機能主義、構造主義などを横断しながら構造化理論を提唱した。構造化理論によってギデンズは、主体と客体、個人と社会、ミクロとマクロなどの二元論や、共時態と通時態、静学と動学の区別などの克服を試みた。その説明の中核とされるのが行為理論である。

 本報告では、とくに行為と意識の階層モデルに着目し、その生物学的な根拠あるいは起源について考察する。ギデンズは階層モデルを提示する際、規範や動機の後天的な内面化というパーソンズの見解を退け、主体の能力を重視した。その能力の起源として、ギデンズはしばしば生物学的な基盤に言及している。ただし、当時は理論的な予見にとどまっていた。本報告は、ギデンズの指摘を敷衍するかたちで現在の生物学を参照し、再度ギデンズの理論体系につなげていく予定である。これにより、ギデンズ社会理論に欠けていた根拠を補強するとともに、モデルに若干の修正を迫ることになる。最後に、行動経済学や進化政治学など生物学的知見を導入した近年の社会科学の研究動向を概観し、今回の報告をその潮流のなかに位置づけてみたい。

第3報告

パフォーマティヴィティ概念を再構築する――バトラーのブルデュ批判を越えて

長野 慎一(東洋大学)

本報告は、J.バトラーによるP.ブルデュに対する批判を越えて、彼女のパフォーマティヴィティ概念を、社会学的に再構築する試みである。

バトラーのパフォーマティヴィティ論は次のような視座を採用する点に特色がある。第一に、言葉の規範的な使用の帰結として、自己同一的なものの領域が、実体化される。第二に、「行為遂行的矛盾」は実体化された領域の再編を促し、物質関係および社会関係の新しい秩序形成の契機になる。これらの命題は、ブルデュ理論の枢要な概念〈ハビトゥス〉及び〈界〉に対する批判の根底にある。

しかし、報告者の理解では、ある面においては、パフォーマティヴィティ概念はブルデュ理論にコンテクストを得てこそ、より包括的で実際的な説明力を得る。第一に、ハビトゥス概念は、身体‐物の系列もまた、言葉の場合と同様の意味合いで、パフォーマティヴであるという前提を備えている。つまり、身体と物は、物質世界に属すると同時に、言葉と同様に、何事かを指示する記号として作用する(パフォーマティヴィティ概念の拡張)。第二に、界概念は、言葉の分析には還元不可能な社会関係を措定する。界は言葉の効果の成否を握る自律した領域として位置づけられている(パフォーマティヴィティを規制する条件)。

バトラーが言うように、物質関係や社会関係の物象化にとって言葉が決定的な役割を果たす点を認めるにしても、複数の次元で、言語外の領域を相対的に自律した領域として十分に概念化することなく、彼女が着目する行為遂行的矛盾が奏功するか否かを論じることは困難であるというのが、現在の報告者の問題意識である。そこで、本報告では、あえて、行為遂行的矛盾の成否を握る条件を言葉の外の領域に着目して論じる予定である。

第4報告

フランクフルト学派の科学論――科学技術社会論または科学社会学にむけて

川山 竜二(筑波大学)

 本報告では、フランクフルト学派の科学をめぐる議論を整理しつつ、科学社会学や科学技術社会論の議論への接続可能性を考察する。M.ホルクハイマーの「伝統的理論と批判的理論」からはじまり、T.アドルノ/J.ハバーマスの「実証主義論争」に至るまで、フランクフルト学派と近代科学を巡る諸問題とは切り離すことができない関係であろう。ところが、一方でフランクフルト学派やいわゆる批判理論学説研究において、彼らが論じてきた科学論に焦点を当てた研究が多いとは言いがたい。他方、科学の社会学的研究や科学に関する社会科学的研究をおこなう科学社会学や科学技術社会論では、ハバーマスの公共圏や技術をめぐる議論を用いた研究が散見されるなかで、批判理論を用いたアプローチが多いとはいえない現状にある。

 そこで、上述の三人の著作を中心に、以下の二点に焦点を当て議論することにしたい。まず、フランクフルト学派が議論してきた科学とは何か、という概念布置を整理して示すことにしたい。そのうえで、科学社会学もしくは科学技術社会論において、批判理論における科学論に議論がどのように受容されているかの、もしくはされていないのかという点を知識社会学の学説史研究を補助線に議論する。そのなかで、科学社会学や科学技術社会論の研究にいかに批判理論や反省論的研究が接続できるのか、またはできないのかということを議論していきたい。

第5報告

リスク回避消費とナルシシズム

本柳 亨(早稲田大学)

 近年の「リスク社会」という認識の広がりと共に、「リスク回避」に重きを置いた消費が盛んである。リスク回避消費とは、「安全」や「健康」のような「リスク回避」を目的の一つとする消費を意味する。リスク回避消費が行われる一方で、消費が脱他人指向化する動きも見られる。脱他人指向消費の一つとして、自己自身の充足感を重視する「ナルシシズム」としての消費が挙げられよう。一見すると無関連に見えるリスク回避消費とナルシシズムであるが、ナルシシズムがリスク回避消費を加速させているのではないだろうか。

 本報告では、リスク回避消費とナルシシズムの共振関係について考察する。ナルシシズムをめぐる議論は、リチャード・セネットのナルシシズム論に着目する。セネットは『公共性の喪失』の中で、「ナルシシズムは現代のプロテスタンティズムの倫理である」という興味深い言葉を残している。現代の性格類型についてデビッド・リースマンが「他人指向」であると主張したのに対して、セネットは「内部指向」であると反論している。本報告の目的は、現代の性格類型に対するリースマンとセネットの見解の違いを糸口としながら、リスク回避消費の背後にあるリスク概念とナルシシズムの共振関係を明らかにすることである。