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年次大会
:第59回大会 (報告要旨・報告概要:テーマセッション(1))


テーマセッション(1):戦争体験の世代間継承(1)被爆の記憶と戦争体験の継承  〔リバティタワー9階 1093教室〕

司会者:有末 賢(慶応義塾大学)

部会趣旨 準備中
1. 原爆文学「研究」という集合的記憶 横山 寿世理(聖学院大学)
2. 「被爆の記憶」の語り方を解読する[PP] 好井 裕明(筑波大学)
3. 「被爆者になる」ということ[PP] 高山 真(慶應義塾大学)
4. 東京大空襲の記憶を継承する主体――世代間の断絶をめぐって[PP] 木村 豊(慶應義塾大学)

報告概要 準備中
部会趣旨

 準備中

第1報告

原爆文学「研究」という集合的記憶

横山 寿世理(聖学院大学)

 原爆体験を主題として扱う「原爆文学」というジャンルが成立したと言われている。本報告では、この原爆文学自体ではなく、原爆文学についての研究(原爆文学研究)の変化を集合的記憶との関係で理解するという方法で、「戦争体験の世代間継承」という問題を検討したい。その上でさらに、戦争体験の世代間継承という問題に対する姿勢の相違を、原爆文学研究界における集合的記憶の違いによって理解することも目指したい。

 集合的記憶は時間的枠や空間的枠によって再構成されると言われる。原爆文学研究界では、過去における被爆体験の有無や、反核という平和な未来を描くかどうかによって原爆文学は分類される。あるいは被害者側/加害者側のいずれに立つのかによっても分類される。つまり、原爆文学研究は、研究対象とする原爆文学自体がどのような時代=時間的枠、どの環境=空間的枠を持つかを重視するということであり、いくつもの集合的記憶として再構成される可能性を示していることになる。

 本報告では、原爆体験の継承をめぐる原爆文学批評の温度差や、原爆文学を幾段階かに分類する方法を、集合的記憶の枠組みによって明らかにする。特に注目したいのは、2000年代に入ってからの『原爆文学研究』(原爆文学研究会)における原爆の悲惨さを訴えるだけでは体験継承が困難になったという共通認識である。

第2報告

「被爆の記憶」の語り方を解読する

好井 裕明(筑波大学)

 ヒロシマ・ナガサキの被爆問題に関しては、毎年のように「被爆の記憶」の風化が叫ばれている。ただそれはあるシンボリックな意味を確認するだけの叫びであり、具体的に「被爆の記憶」の何がどのように変質し消え去っているのかは明らかではない。報告者は現在NHK特集などの被爆問題のドキュメンタリーの詳細な解読を試行しつつあるが、1960年代の作品ですでに「風化」が語られているのである。

 本報告では、広島の被爆をめぐるドキュメンタリーやいわゆる原爆関連映画やドラマの中から個別作品や個別シーンを選び出し、そこで被爆や戦争というできごとについて、どのように具体的に描かれ、語られているのかを例証する。そのうえで、そうした「語り方」が何をリアルとして、私たちの前に提示し、何をリアルでないものとして、私たちが忘れ去っていっていいものとして後景化していくのかを解読したいと考えている。そのさい、ステレオタイプ化した「被爆の記憶」の語り方を単なるステレオタイプとして批判するのではなく、決まり切ったと思いこんでしまう表象のなかにも、「いま、ここ」で私たちのこころを動かすエネルギーが潜んでいることについて語りだしたいと思う。

第3報告

「被爆者になる」ということ

高山 真(慶應義塾大学)

 報告者は2005年3月より長崎において「語り部」に取り組む被爆者を対象としたインタビュー調査を実施している。本報告では、これまでの調査(経験)を対象とし、「被爆者に聞き取りをする」という社会学的営為について検討する。具体的には、石田忠による福田須磨子を対象とした生活史調査をモデルとして、報告者のインタビュー経験の意味を再検討することを報告の中心的な課題とする。その手がかりとして、長年にわたり被爆者への聞き取りに携わり自身も被爆者であるMさんの「被爆者になる」という語りに注目する。彼は、被爆者運動、証言運動の経験をふりかえり「(わたし)より大変な思いをして生きてきた」被爆者の証言に現れる「痛み」を共有(内面化)することにより「みずからの被爆体験が広がり、被爆者として深まっていった」と語る。

 この語りを、ロバート・J・リフトンの「罪意識」をめぐる議論、直野章子による「法的言説による『被爆者』のカテゴリー化」に関する考察等にもとづき検討する。下田平裕身「企業と原爆」の記述が体現しているとおり、被爆者調査により得られたデータを記述する際、自明視された「被爆者」カテゴリーをいかに無効化するかは重要な論点となる。同時に、その記述の主体も含み込まれる「罪意識」を軸とした被爆死者への「一体化」と「心理的閉め出し」の円環を、社会学者はいかに捉え、乗り越えうるかという問題も浮上する。これらの視点からの検討をふまえ、石田が福田の生活史を描くことにより提示した「『漂流』から『抵抗』への飛躍」というモデルとは別様の「継承」の可能性について考察することが本報告の目標である。

第4報告

東京大空襲の記憶を継承する主体――世代間の断絶をめぐって

木村 豊(慶應義塾大学)

 戦後65年が過ぎ、戦争を経験した世代の高齢化とともに、戦争の記憶の風化といった問題が、いよいよ深刻化している。それは、現在、戦争を経験した世代によって戦争の記憶を表象することができる最終的な時期にあり、近い将来、そうした人びとによって戦争の記憶を表象することができなくなることへの危惧を意味している、と同時にそれは、戦争の記憶を表象する活動主体が戦争を経験していない世代へと移り変わろうとしていることへの危惧をも意味している。

 つまり、そうした危惧が抱かれるとき、そこでは戦争を経験した/経験していない世代という二つの世代間にある断絶が想定され、そうした断絶をめぐって戦争の記憶を継承することの問題が生起しているといえる。それでは、戦争を経験した世代から、戦争を経験していない世代に、戦争の記憶を継承するとは、いかなることなのだろうか。そもそも、そのようなことは可能なのだろうか。

 そうした問題意識を踏まえて、本報告では、戦争を経験した世代と、戦争を経験していない世代との、二つの世代へのアプローチを試みる。具体的には、そうした二つの世代による、東京大空襲の記憶を想起する実践を取り上げ、その二つの世代によって、東京大空襲の記憶がいかに想起されているのか、検討したい。そして、本報告では、そうした二つの世代による実践の検討を通して、東京大空襲の記憶を継承する主体について考察したい。

報告概要

準備中

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