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年次大会
大会報告:第59回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第6部会)


第6部会:市民社会と多様性

司会:塩原 良和(慶応義塾大学)
1. 戦後日本のナショナルアイデンティティと海外居住者の位置づけ 崔ミンギョン(一橋大学)
2. 韓国人ニューカマー女性のネットワーク形成――「契」に着目して[PP]  柳 蓮淑(お茶の水女子大学)
3. 日本を起点としたパキスタン人移民の間接移民システムとエスニック・ビジネス[PP]  福田 友子(千葉大学)
4. 日本の市民社会論と今日の市民社会 稲葉 年計(首都大学東京/現代位相研究所)
第1報告

戦後日本のナショナルアイデンティティと海外居住者の位置づけ

崔 ミンギョン(一橋大学)

本報告ではホームランド日本が海外居住者との関係を戦後、具体的には高度経済成長期を中心とした時期いかに構築していったのかについて考察することで、日本のナショナルアイデンティティの一側面を明らかにし、今日の在日外国人問題へ示唆するものを模索する。

ある国家が海外居住者をいかに認識するかはナショナルアイデンティティと密接に関連し、それはその国家に流入してきた外国人(及び移民)をいかに位置付けるかという問題と表裏の関係にある。特に、在日日系人のようなエスニックな帰還移民と「ホスト国」日本の関係は「ホームランド」としての日本と海外居住者との歴史的な関係性を踏まえたものになっている。日本の場合、敗戦の経験とその後の社会変動の中で、海外居住者へのホームランドの眼差しは大きく変化したと考えられる。南米においては戦前からの所謂「日系人」に加え戦後再開した移民送出による「移住者」、そして日本企業の海外進出に伴う「駐在員」の流入が進むの中で、海外居住者の位置づけも決して一枚岩ではないものに変容し、各々ホームランド日本と異なる関係性が築かれていく。そしてこうしたプロセスは戦後日本のナショナルアイデンティティを投影したものだった。

そこで本報告では戦後移住行政に携わっていた元職員へのインタビュー内容と関連文献資料の分析を中心に戦後の日本社会が海外居住者への重層的な眼差しをいかなる論理の下で確立していったのかについて答えていきたい。

第2報告

韓国人ニューカマー女性のネットワーク形成――「契」に着目して

柳 蓮淑(お茶の水女子大学)

 本報告の目的は、日本在住の韓国人ニューカマー女性の社会的ネットワーク形成過程を把握する手がかりとして、韓国社会に根付いている「契」が日本で再生産されていることに着目し、その機能と役割について明らかにすることである。

 調査対象者は、2002年8月に結成され翌2003年7月に解散した「契」の参加者10名(女子8名、男子2名)である。いずれも単身で来日し、首都圏に在住し就労している。調査は集会への参与観察と半構造インタビューで構成した。インタビューは主に韓国語で行い、1回平均2〜3時間をかけ、半数の女性とは複数回にわたり実施した。このような調査は参加者が働く店の顧客となる等ラポール形成につとめた結果可能となった。韓国における「契」の歴史は古く、農山漁村から都市部まで幅広い階層で行われ社会全体に重要な位置を占めている。本報告では、韓国人ニューカマーとりわけ女性が、日本において「契」を再生産する目的や規模、実施方法、メンバー、役割に注目した。その結果、大きく2つの機能を見いだした。一つ目は、経済的機能であり、もう一つは社会的ネットワークの形成機能である。前者は事業資金獲得や貯蓄を目的としている。後者は参加者同士の事業ノウハウ交換から時には生活相談をふくんでいる。いずれも、経済的社会的基盤が弱い女性たちが、孤立しやすい外国での生活を続ける上での相互扶助的機能を果たしていることが明らかになった。

第3報告

日本を起点としたパキスタン人移民の間接移民システムとエスニック・ビジネス

福田 友子(千葉大学)

これまでトランスナショナリズム論を援用しながら、調査対象者であるパキスタン人移民の社会的世界について考察してきた。その結果、日本社会(ホスト社会)側から政策的に排除され続けてきたパキスタン人移民が、政策的に受け入れられてきた移民よりも、日本人と家族形成する傾向が見られるなど、日本社会に溶け込んでいる現実が浮き彫りになった。ところが一方で、日本社会に溶け込んだはずのパキスタン人移民もまた、次のステップとして家族(日本人配偶者と子ども)を連れて積極的に第三国に再移住する事が明らかになった。つまり日本社会は移民政策を駆使することによって、これまで移民の流入を巧みにコントロールし、概ねそれに成功してきたが、一方で移民を社会内部へ受け入れる仕組みを重視してこなかったため、適応できなかった移民のみならず、一旦適応に成功した移民や、日本国民であるその配偶者女性や子どもたちをそのまま海外に流出させている、という構図が見られた。

その背景として重要な要素となっているのが、パキスタン人移民のエスニック・ビジネスであり、中でもニッチとなっている中古車貿易業である。この事例の特徴は、親族や友人関係といった移民ネットワークを媒介としたトランスナショナルな事業展開にある。2005年と2010年のパキスタン、アラブ首長国連邦、ケニアでの調査結果を元に、中古車貿易市場の形成史と2009年以降の大不況下におけるエスニック・ビジネスの生き残り戦略に言及しつつ、パキスタン人移民の間接移民システムについて考察する。

第4報告

日本の市民社会論と今日の市民社会

稲葉 年計(首都大学東京/現代位相研究所)

 1990年代は新たに市民社会論が台頭した時代であった。しかし、1980年代まで、日本の市民社会は成熟過程にあったかといえばそこには議論の余地がある。すなわち、1980年代までの市民社会は、「保守」による「革新」の全般的な包摂の流れのなかで解体の一途にあったのであった。よって、日本の1990年代の歴史的な転換において、国家・社会双方が不安定になるなかでの市民社会への期待は慎重にならざるを得ないものである。そこで、戦後以来、日本の近代化論とともに議論されてきたこれまでの市民社会論と、新たに語られる市民社会の実態を照らし合わせ、再度また理論・言説へと帰せられなければならない。本報告は、こうした問題意識のもと、政治領域・経済領域双方において語られるこれまでの市民社会論と今日の市民社会とを照合・検討・考察するものである。