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年次大会
大会報告:第56回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第9部会)


第9部会:社会問題・構築主義  6/22 10:00〜12:30 〔1号館1階104教室〕

司会:佐藤 恵(桜美林大学)
1. 喫煙者であるということ 苫米地 伸(東京学芸大学)
2. 1970年代日本臨床心理学会の専門家批判の再検討 堀 智久(筑波大学)
3. 差別表現問題のメタフォリカルな構成 林原 玲洋(神奈川人権センター)
4. 日本の男性学における生殖論の臨界 齋藤 圭介(東京大学)
5. 医療プロフェッションと「信頼」
──雑誌記事分析から見る医療における「信頼」の信憑と記述
畠山 洋輔(東京大学)
第1報告

喫煙者であるということ

苫米地 伸(東京学芸大学)

 本報告では、2006年から2007年にかけて行った「未成年の喫煙防止に関する調査」のインタビューデータを元に報告する。この調査では、喫煙者がどのようにして喫煙にいたるのか、その動機や当時の意識などの他に、その家族関係、友人関係なども調査した。このデータから見えてくる、喫煙者とはどんな人々なのかを提示したい。
 今回の調査データによれば、喫煙者が喫煙にいたる道のりは多様な形をとっており、初めて喫煙した時期と、常習化し始める時期までのスパンも様々であった。相対的にみるならば、未成年時に喫煙を開始した喫煙者は、身近な「友人」や「先輩」にすすめられたり、喫煙行為をみている中で「好奇心」や「興味」をもつ場合が多く、この場合は常習化するまでの期間は多様であるが、成年を迎えてから喫煙者になった者は、「ストレス」などによって喫煙を始め、常習化するまでの期間が短い場合が多かった。このようなデータに加えて、喫煙に対する意識や、家族環境などの要因も合わせて分析した結果を報告する。
 なお、本報告が依拠している調査は、現代戦略研究所主催の「未成年の喫煙防止委員会」の委託により、(株)フィリップモリスジャパンの助成を受けて実施されたものである。

第2報告

1970年代日本臨床心理学会の専門家批判の再検討

堀 智久(筑波大学)

 本報告の目的は、1970年代の日本臨床心理学会の学会改革でなされた議論を整理し、再検討を行うことである。とりわけ、障害者の障害をなくすことをめぐってなされた議論を中心に、再検討を行う。
 日本臨床心理学会は、1964年に設立される。本学会は、設立当初、「医師に準ずる、臨床心理士の国家認定資格制度」を作ることを重要課題とした。だが、1970年代以降、全共闘運動・大学闘争を社会的背景に、本学会でも学会改革が開始される。1971年には、学会内に日本臨床心理学会改革委員会が結成され、その後、若い会員を中心に専門家批判の議論・実践が展開される。具体的には、臨床心理士の資格化、心理テスト、特殊教育、カウンセリング、早期発見・早期治療等の是非が議論の対象になり、批判の対象になる。学会改革での議論をまとめた出版物として、出版年順に、『心理テスト・その虚構と現実』(1979年)、『戦後特殊教育』(1980年)、『心理治療を問う』(1985年)、『「早期発見・治療」はなぜ問題か』(1987年)がある。
 彼らの議論・実践の中核には、生産、能力主義、優生等に対する懐疑がある。言うまでもなく、障害者に関わる専門家の役割とは、障害者の障害をなくすこと、障害者の能力を少しでも高めることである。本報告では、本学会改革でなされた専門家自身による自己批判の議論・実践を整理し、その意義をあらためて確認する。

第3報告

差別表現問題のメタフォリカルな構成

林原 玲洋(神奈川人権センター)

 本報告では、差別表現をめぐる議論をとりあげ、そのメタファー分析をこころみる。
はじめに、差別表現をめぐる議論がたどる典型的なパタンを確認し、「差別表現をめぐる議論は、なぜ/どのように〈すれ違う〉のか」という問いを提示する。
 つぎに、メタファー分析の方法について論じる。メタファーの根源性や日常性に着目するメタファー論の視点は、近年ディスコース分析に導入され、さまざまな事例研究を生みだしている。その問題意識は多様であるが、共通する課題としては、@メタファー表現の分析、Aメタファーによる主題構成(主題がもつ種々の側面の焦点化/背景化)の分析、そして、Bメタファーの背景・効果の分析の3点を指摘できるだろう。
 本報告では、差別表現をめぐる議論にみられるメタファーとして、「言語=容器」「言語=武器」「言語=鏡」「言語=自然」という4つのメタファーを析出する。また、それぞれのメタファーが、差別表現という主題をどのように構成しているかを、メタファー・マッピングとメタファー・シナリオという、2つの契機に着目しつつ整理する。
 以上のようなメタファー分析から、差別表現をめぐる議論の〈すれ違い〉について、どのような知見が得られるだろうか。本報告では、メタファーによる主題構成が、同時にメタファーによる状況呈示(主題について語る責任の所在を示すこと)でもあることを論じたうえで、差別表現をめぐる議論の〈すれ違い〉を、メタファーによる状況呈示の対立として解釈する。

第4報告

日本の男性学における生殖論の臨界

齋藤 圭介(東京大学)

 ジェンダー研究はこれまで主として女性領域を対象としてきたが、近年、男性性(「男らしさ」)の構築について関心が向けられてきた。そのなかでも、男性当事者による男性性の問い直しが、男性学として成立した。
 いままでフェミニズムによる生殖論の多くは、「自己決定権」とともに語られてきた。この主張は、男性の生殖への権利を抑制するのみならず、男性の生殖責任を免罪するという両義的効果を持ってきた。すなわち生殖へと女性を疎外し、生殖から男性を疎外してきたといえよう。それが男性学においてもこの領域の空白を生み出してきたといえる。これはフェミニズム研究のみならず、近代家族論やセクシュアリティ研究においても盲点と言える問いであり、その重要性が認識されながら問われることがなかったものといえる。
 本報告は、1970年代以降の生殖について言及している日本の男性論・男性学を女性学・フェミニズム理論との応答関係のなかで位置付け、そのうえで批判的に考察する。そうして、生殖に男性を位置づけうる臨界点を明らかにする。すなわち、生殖を語るフェミニズムの文脈において男性を積極的に論じることができないジレンマがあるのと同様に、男性学の文脈で生殖を論じるときにも、男性学固有のジレンマがあることを、本稿は明らかにする。

第5報告

医療プロフェッションと「信頼」
──雑誌記事分析から見る医療における「信頼」の信憑と記述

畠山 洋輔(東京大学)

 プロフェッションの議論において、信頼とプロフェッショナリズムの関係は常に接続され、相互に関連づけられてきた。医療者は典型的なプロフェッションであるが、医療の本質は信頼にある、という信憑は他のプロフェッションと比しても根強い。しかし、近年、プロフェッションとしての医療者と信頼との関係が揺らいでいるとの指摘も受け入れられている。この信憑は、医療者に対する人格的な信頼と、医療を支える知識・制度=システムに対する信頼との、少なくとも2種類の信憑に区別することができる。そこで、医療における2種類の信頼に対する信憑を区別し、その2種類の信憑の関係を、そして、医療プロフェッションと信頼との関係とを考察することを目的とし、NDL-OPACを用いて医療に関する「信頼」に言及する雑誌記事を収集し、分析を試みる。
 ここで収集した雑誌記事は2000年以降、急速に増加している。この00年を基準とすると、00年以前に比べて00年以降、人格的な信頼に対してシステムに対する信頼に言及する記事の割合が増加している。また、00年以降に初めて、「信頼」と回復言説とが結びつくようになるが、その回復言説と信頼の種類別の結びつき易さを比べた場合、ヒトに対する信頼よりも、システムに対する信頼の方が結びつき易いということが分かった。以上のことは、00年以降、プロフェッションとしての医療者個人に対する人格的な信頼以上に、プロフェッションとしての医療者を支えるシステムに対する信頼が強く希求されるようになっているということを意味していると考えられる。

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