第4部会:語り・イメージ  6/18 14:00〜17:30 [5号館・2階 5222教室]

司会:小林 多寿子 (日本女子大学)
1. 生き方を問い直す父親たち
──不登校を考える親の会に参加する父親を事例として──
加藤 敦也 (武蔵大学)
2. 故人との関係性はいかにして継続されるのか 鷹田 佳典 (法政大学)
3. 「病い/問題」の経験者へのインタビュー調査から得られるデータの種類と特徴
──摂食障害の回復者の語りにみられる自己の経験への意味付与の推移──

中村 英代
(お茶の水女子大学)
4. 「沖縄病」の変遷
──南島イデオロギーの反復──
高橋 順子 (日本女子大学)
5. 台湾人特別志願兵の植民地経験と階層、民族 宮崎 聖子(東京家政学院大学)

報告概要 小林 多寿子 (日本女子大学)
第1報告

生き方を問い直す父親たち
──不登校を考える親の会に参加する父親を事例として──

加藤 敦也 (武蔵大学)

 不登校を問題視する議論には、その要因を伝統主義的な家族役割の破綻に求める観点が依然として見受けられる。こうした観点の中では不登校の対策として、権威の象徴としての父親の家庭での復権が要請されている。ここでは不登校の子どもを抱える父親は成員に対して権威を持っていないという意味で不在の父親として認識され、その社会的位置づけにおいて負の属性で語られる。しかし、子どもの不登校を学校の制度的矛盾やそれに基づく社会編成の矛盾をつくメッセージとして読み取るならば、不登校はむしろ父親にとっては自らが置かれている社会的環境を問い直し、アイデンティティを再構築するための積極的契機として肯定的に捉え直すことができるのではないか。

 本報告では、以上のような観点から、不登校問題に関するセルフヘルプ・グループである「親の会」に参加する父親を事例として、その場所での社交関係がもたらす父親のアイデンティティの変容とそれが社会に対して問いかけている意味を父親たちのライフストーリーを参考にして検討する。親の会には、親が社会的孤立のうちに抱えなければならない悩みを対話と共感によって緩和する作用がある。親の会への参加を通して、それ以前に内面化された偏見と孤独感が解放されることにより、父親が再構築するアイデンティティが家族制度を基盤として成立する男性の職業領域への専心の背後に存在する問題を浮上させる様相を考察する。

第2報告

故人との関係性はいかにして継続されるのか

鷹田 佳典 (法政大学)

 近年、死別研究の領域においては、死別体験者と故人との関係性が主要な論点の一つになっている。半世紀に及ぶ死別研究の歴史の中で支配的な地位を占めてきた「伝統的な悲嘆モデル」が、悲嘆を解決するためには故人との絆を切断しなければならないと主張するのに対し、これを代替すべく登場した「新しい悲嘆モデル」は、多くの死別体験者が何らかの形で故人との関係性を保持しているという事実に依拠し、喪失に適応する上で故人との絆の継続が果たす役割を強調している。本報告では特に、イギリスの社会学者であるトニー・ウォルターによって提起された悲嘆モデルを主題的に取り上げ、死別体験者と故人の関係性について検討する。絆の継続に着目する研究の多くが、個々の死別体験者による故人についての内的表象に分析の焦点を置いているのに対し、故人を死別体験者の生に統合することができるような伝記を<共同で>構築することの重要性を指摘するウォルターの悲嘆モデルは、死別と悲嘆を社会学的な観点から読み解こうとする我々にとって有用な分析枠組みを与えてくれるように思われる。本報告ではその概略を確認した上で、伝統的な共同体が解体しつつある現代社会において、どのような資源が故人との関係性(絆)を継続するために利用可能であるのかを、報告者が行った子供を亡くされた方々への調査に基づいて検討することにしたい。

第3報告

「病い/問題」の経験者へのインタビュー調査から得られるデータの種類と特徴
──摂食障害の回復者の語りにみられる自己の経験への意味付与の推移──

中村 英代 (お茶の水女子大学)

 摂食障害の回復者にインタビューを行うなかで、彼/彼女らの語りにはある共通のプロットがあることがわかった.こうしたプロットからは、摂食障害という体験への理解や解釈が時とともに推移している点が明らかになった.つまり、摂食障害であった状況と回復している状況とでは、自己の経験への意味付けが大きく変化していたのである.そこで本報告では、第1に、以上のプロットを明らかにすることで、従来の摂食障害研究がはらむ問題点を指摘し、今後、質的調査によって摂食障害にアプローチしていく際に必要になってくる視座を提示する.第2に、本報告の対象である摂食障害に限らず、何らかの「病い」や「問題」の経験者を考察対象とする際も、どのような状況にある対象者をインフォーマントとして採択するかによって、得られるインタビュー・データが大きく異なりうることを指摘する.そして、摂食障害を事例としながら、調査方法、調査対象の設定の仕方による各データの違いと特徴について考察する.最後に、データは考察結果に大きな影響を与えることから、インタビュー・データを処理する際にはデータの質や種類の問題に自覚的である必要性を指摘する.

第4報告

「沖縄病」の変遷
──南島イデオロギーの反復──

高橋 順子 (日本女子大学)

 本報告は、「沖縄病」とは何か、何故どのように起こったのか、どのように変容したのか、「本土」における「沖縄病」という現象の変遷を明らかにし、発生の仕組みと変容の意味を考えることを目的とする。「沖縄病」とは、大方に共通する解説において「「本土」の人々が、沖縄を訪問したことで、沖縄にとりつかれて夢中になること」であり、本報告においても同様に定義する。管見した限り、「沖縄病」は長い期間にわたって大量の語りが見られるが、その検討はほとんど行われていない。しかし報告者は、「沖縄病」に注目することは大きな意味があるのではないかと考える。沖縄に魅せられ、積極的に享受してきた人々によって語られた「沖縄病」言説の変容の検討によって、「本土」における沖縄認識、沖縄受容のあり方(作法)の変遷を探ることができると考えるからである。これまでに、「沖縄病」という現象は1940年前後、1972年沖縄「復帰」前後、1990年代という3つの時期に大きく盛りあがったことがわかっており、本報告は敗戦や「復帰」を挟んだ60年以上の期間が対象になる。その結果、「沖縄病」言説の変遷の検討によって、「本土」において沖縄を眼差す視線が歴史的にどのように変遷、構築されてきたのかを検討することができると考えている。

第5報告

台湾人特別志願兵の植民地経験と階層、民族

宮崎 聖子(東京家政学院大学)

 台湾は1895年から1945年にかけて日本の植民地となった。日本植民地統治下の台湾で1940年代前半に青少年期を迎えていた台湾の人々にとって、1945年の日本帝国、台湾総督府の日本人による支配から中国国民党への政権転換は、大きなできごとであった。当時青少年だった人々は現在、80歳前後の高齢を迎えている。彼らの世代の多くは、戦後の国民党政権により「親日」のレッテルを貼られ、そのイメージはマスメディアによってかなり定着している。その代表的な存在の一つが日本植民地統治下で特別志願兵となった者である。しかし、このことについて研究することは、台湾の民主化が進む以前は政治的な理由で難しく、学術的研究はほとんど行われていない。本報告では台湾人(漢族系住民をさすこととする)の元特別志願兵のライフヒストリーから植民地期の経験とその語りの背景を検討し、志願兵の「親日」イメージとの関連について考察する。

 具体的には台湾北部の台北州A街(戦前の「街」は「内地」の「町」にあたる)に生まれ、1942年秋に第一期の陸軍特別志願兵として出征した男性を事例に、彼の歴史・社会的経験と植民地期をめぐる語りを検討する。その際、特別志願兵養成・送出の場となった地域の政治構造や社会関係、青年団教育にも着目する。それにより彼の自己イメージの語りが、階層や民族に規定されて構築されており、一般に流布している志願兵の「親日」イメージとはズレがあることを論じる。

報告概要

小林 多寿子 (日本女子大学)

 第4部会は、5人の研究者による報告がなされた。第一報告は加藤敦也氏(武蔵大学)による「生き方を問い直す父親たち―不登校を考える親の会に参加する父親を事例として―」で、子どもの不登校を経験する父親が構築する役割意識のあり方と不登校の親の会というセルフヘルプ・グループに参加することで父親自身のアイデンティティの変容していくことの意味を親の会に参加する父親のライフストーリーをもとに検討した。第2報告は鷹田佳典氏(法政大学)による「故人との関係性はいかに継続されるのか」で、死別体験者と故人との関係性を考える死別研究のなかで伝統的な悲嘆モデルに対して新たに提起されている「絆の継続モデル」が故人との絆の継続が悲嘆プロセスに果たす能動的な役割を強調していることをふまえ、小児がんによって子どもを亡くした女性の語りを事例として故人との関係性の継続の問題を考察した。第3報告は中村英代氏(お茶の水女子大学)による「「病い/問題」の経験者へのインタビュー調査から得られるデータの種類と特徴―摂食障害の回復者の語りにみられる自己の経験への意味付与の推移―」で、摂食障害の回復者へのインタビューをもとに回復前と回復後の自己の経験への意味づけの差異を手がかりとしてこれまでの摂食障害研究の問題点と回復者の語りに即した摂食障害研究の可能性を検討した。第4報告は高橋順子氏(日本女子大学)による「『沖縄病』の変遷―『南島イデオロギー』の反復―」は、「沖縄病」という「本土」の人びとが沖縄を訪問により沖縄にとりつかれた言説の流布という社会現象をめぐって1940年前後、72年復帰前後、90年代と3度みられる現象から沖縄をまなざす視線が歴史的にいかに構築されたかを問うた。第5報告は宮崎聖子氏(お茶の水女子大学)「台湾人陸軍特別志願兵の植民地経験と階層、民族」で、日本の植民地下の台湾における「台籍日本兵」のなかで一人の元陸軍志願兵のライフヒストリーをとりあげ、志願兵の経験とその意味、送出の背景となった地域社会について考察した。第4部会での報告はいずれも長年のインタビューや理論的検討をふまえた内容の濃い充実したものであった。ただ、第1報告から第3報告が不登校、死別体験、摂食障害というテーマで現在進行中の問題に関わっているのに対して、第4報告と第5報告は歴史社会学的な視点によっており、全体を横断した議論の展開は難しかったが、どの報告も個人的語りに注目した研究であり、語りの分析やインタビューをめぐって相互に調査研究のヒントの交換があった。