第12部会:メディア・コミュニケーション  6/19 10:00〜12:30 [5号館・2階 5224教室]

司会:池田 緑 (大妻女子大学)
1. 戦中・戦後の建築雑誌における建築家の表象
──丹下健三を中心とした建築家の有名性をめぐって──
 [PP使用]
南後 由和 (東京大学)
2. 地域社会におけるメディア表現の実践とエスニック・マイノリティ
──その矛盾と課題──
松本 悦子 (立教大学)
3. 巡礼・遍路をテーマとしたインターネット上のコミュニケーションに関する社会学的考察 [PP使用] 河野 昌広 (早稲田大学)
4. 現代上海の文化政治
──国際経済中心城市・上海における「上海人」概念の再定義──
 [PP使用]
神山 育美 (一橋大学)

報告概要 池田 緑 (大妻女子大学)
第1報告

戦中・戦後の建築雑誌における建築家の表象
──丹下健三を中心とした建築家の有名性をめぐって──

南後 由和 (東京大学)

 本報告は、建築家の有名性を個人や作品の資質に還元することなく、それが集団的に構築、維持、消費されるプロセスを戦中・戦後の建築雑誌に着目しながら歴史的に跡付けることを目的とする。これは太平洋戦争前後から1960年代に至るまでの日本の建築史をメディア論および芸術社会学的観点から読み解く試みでもある。有名性に関する先行研究としては、P.D.マーシャルや石田佐恵子らの仕事を参照する。

 建築家の有名性は、写真や言説を含む雑誌という出版メディアの形式やそれと連動したコンペティションといったイベントの中での「建築」の生産、流通、消費のあり様と関係している。また建築界には雑誌に媒介された読者共同体の存在を指摘することができるが、均質な意識が共有されているわけではない。建築雑誌に登場する建築家には偏差があることはもちろん、そこでは戦前から持ち越された問題である建築家の職能、社会的地位、設計体制をめぐってさまざまな欲望、矛盾や亀裂が生まれている。

 本報告の分析軸に上がってくる主な建築家は前川國男、丹下健三、磯崎新らである。とりわけ丹下が歩んだ戦中の「大東亜建設記念造営計画設計競技案」(1942)、「在盤谷日本文化会館設計競技案」(1943)、戦後の「広島平和公園」(1950)、「東京計画1960」(1961)、「国立屋内総合競技場」(1964)、大阪万博(1970)に至る流れは、日本における建築家と国家、人びと、都市、資本、メディア、海外との関係、さらには建築家の権限の変容を体現しているがゆえに重要な位置を占める。それは、D.J.ブーアスティンの言葉に倣うならば「英雄から有名人へ」という流れとパラレルであるかのように見えるかもしれない。しかしながら本報告では、建築家が英雄たり得たことがあるのかをまず問うたうえで、建築家の有名性をめぐる問題を明らかにしたい。

第2報告

地域社会におけるメディア表現の実践とエスニック・マイノリティ
──その矛盾と課題──

松本 悦子 (立教大学)

 今日、パブリック・アクセスや「市民」からの発信という動きに伴い、「多文化共生」を活動の目的とするメディアが多く見られるようになってきた。同時に、住民としてのエスニック・マイノリティを受け入れるうえでさまざまな問題を抱える地域社会のメディアは、同じく「多文化共生」を理念とし、地域のコミュニケーションを促進するうえで新たな機能を担いつつある。中でも、コミュニティ・メディアにおけるエスニック・マイノリティ(特に若年層)のメディア表現の実践は、「多文化共生」を地域社会から考えていく上で、互いの文化を理解し、自らのアイデンティティを受け入れていく重要な機能を果たしているといえる。それぞれの制作過程において、さまざまな他者にかかわることで、自らが社会的な存在であることを認めることが可能になるからだ。

 しかしながら、エスニック・マイノリティはその特殊性から注目を得やすい反面、排除の対象となりやすいことも事実である。よって、彼/彼女らのメディアや表現活動を一時的な「外国人」の支援の一環とみなしたり、マジョリティ社会の「商品」として扱ったりするのではなく、多様性を尊重していくという共通の価値・規範を地域社会のなかで共有していくことが求められる。

 本報告は、地域社会のなかで表現活動を続けるエスニック・マイノリティへの聞き取りをもとに、「多文化共生」とメディアの関係性を考える上での矛盾と課題について検討する。

第3報告

巡礼・遍路をテーマとしたインターネット上のコミュニケーションに関する社会学的考察

河野 昌広 (早稲田大学)

 本報告では、巡礼・遍路をテーマとしたホームページ、コミュニティサイトを取り上げ、そこで交わされるコミュニケーションについて着目する。そして、それらのコミュニケーションを特徴づける概念として、価値指向コミュニケーションという概念を提示する。

 価値指向コミュニケーション

 コミュニケーションに関する先行研究では、これまで電話の研究などを通じて、道具的コミュニケーションから自足的コミュニケーションへの移行が明らかにされてきた。本報告では、インターネット上のコミュニケーションを通じて、自足的コミュニケーションではなく、価値指向コミュニケーションと呼べるものが生じつつあるという現象を、具体的な事例を通して明らかにする。

 巡礼・遍路をテーマとしたホームページ、コミュニティサイトでは、巡礼・遍路体験を通じて人生物語の転換・再構築のエピソードが語られている事例が多く見られる。そこでは実存的な価値追求を指向しているととらえることができ、そのようなコミュニケーションを価値指向コミュニケーションと呼ぶ。自らの巡礼・遍路の体験談をホームページやコミュニティサイト上で展開し、他者の巡礼・遍路の体験談と交わり、重なり会うことによって、価値指向の重層的なコミュニケーションが展開している。

第4報告

現代上海の文化政治
──国際経済中心城市・上海における「上海人」概念の再定義──

神山 育美 (一橋大学)

 本報告では、1990年代から現在までの上海における「上海人」概念をめぐる議論の蓄積のなかで、どのように「上海人」概念の再定義が進行しつつあるのかを明らかにする。

 社会主義市場経済下の上海は、1990年代以降、「国際経済中心城市」という中国版の「世界都市」建設の実現に向けてダイナミックな成長政治を展開している。この動きは、第1に1990年の浦東新区開発のナショナルプロジェクト化、そして第2に1992年のケ小平の南巡講和からはじまる、上海における改革開放政策の本格的な始動を背景にしている。この上海を「国際経済中心城市」へと変貌させる成長政治の動きは、第1に交通網整備や輸出加工区、CBD建設などの都市空間の再編を促す開発政治、第2に都市民を国際都市上海に「適合的な」主体へと再構築する文化政治の動きとして観察することができる。

 特に文化政治の動きは、「上海人」概念の内包をめぐる議論の蓄積を、党・政府や、企業・研究機関・地域組織などに促していった。そして論争の担い手層、さらには論争の受容層の広がりとともに「上海人」概念は、移民都市・上海、旧植民地都市・上海をめぐる集合的記憶と、さらには流入する民工に下支えされる成長政治の現実を、選択的に可視化―不可視したものとなりつつある。この「上海人」概念の再定義の動きは現在も進行中であり、当該文化政治が「国際経済中心都市」上海の都市的性格、さらには開発政治のあり方に対して少なからず影響を与え、成長政治の質的変容をも促していくことが予想される。

報告概要

池田 緑 (大妻女子大学)

 メディア・コミュニケーション部会は、幅広い研究対象を横断してメディアのもつ社会的影響力とその政治性、文化形成について考察する場となった。

 報告順序とは異なるが、松本悦子氏「地域社会におけるメディア表現の実験とエスニック・マイノリティ」は、調査に基づいて送り手と受け手が近接しているエスニック・メディアにおいて、メディア表現が一種の自己表現・自己実現である側面について、地域社会との関係から考察したものである。また神山育美氏「現代上海の文化政治」は、国際的都市に変貌しつつある上海で、その状況を適合的に主体化する「上海人」という概念がメディアにおいてどのように形成されてきたかを、歴史的経緯を丹念に追いつつ考察したものである。この2報告は、メディアが個人のアイデンティティ形成に果たす役割を実証的に明らかにしようと企図するもので、意義深いものであった。

 南後由和氏「戦中・戦後の建築雑誌における建築家の表象」は、建築雑誌という専門誌におけるオーディエンスの変化と建築界における表象への欲望が有名建築家という存在をメディアにおいて誕生させてきた経緯と意味を考察し、メディアにかんする多様な論点を提起したものであった。

 最後に、河野昌広氏「巡礼・遍路をテーマとしたインターネット上のコミュニケーションに関する社会学的考察」は、インターネット上での調査を元に社会における宗教関心の新たな編成を読み解こうとする意欲的な報告であった。

 全報告とも、メディアの影響力と政治性を焦点とし、多様な知見に満ちたセッションであった。同時に議論の過程で、より大きなメディアへの対抗的相互作用の分析、メディアとナショナリズムの連動、メディアと階層化との関係、人々がメディアから何を読み取ってないのか、メディア表現に何が(政治的に)欠落しているのか等、今後のメディア・コミュニケーション研究の課題も浮き彫りになった点で、意義深い場であったと考える。