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年次大会
大会報告:第54回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第4部会)


第4部会:家族・語り  6/17 10:30〜13:00 [西校舎・1階 516教室]

司会:水野 節夫 (法政大学)
1. 「つりあった結婚」を語る論理
――在日韓国・朝鮮人三世男性のライフストーリー分析を通して
 [PP使用]
橋本 みゆき (立教大学)
2. 新聞報道における<家族>言説の変容過程
――「家族のきずな」の位置をめぐって

齋藤 雅哉 (立教大学)
3. “物語性”からの物語論
今川 信継 (慶應義塾大学)
4. 「当事者の語り」の再考 貴戸 理恵 (東京大学)

報告概要 水野 節夫 (法政大学)
第1報告

「つりあった結婚」を語る論理
――在日韓国・朝鮮人三世男性のライフストーリー分析を通して

橋本 みゆき (立教大学)

 ある結婚を「つりあっている」とみなすのは誰だろうか。社会学では主として、社会的カテゴリーの同類性あるいは相補性による客観的説明が試みられてきた。これに対し本報告は、配偶者選択過程における当事者個人の主観的判断に着目し、インタビュー場面において自らの結婚がどのように「つりあっている」のかを語る論理の立て方を分析する。

 ここで「つりあった結婚」とは、自由結婚制下における配偶者選択の仮定である。語り手が、互いに「『異なっている』が『平等』で、そしてそれによって『よくつりあっている』」(Varro 2003)個人同士の結婚とみなしたとするなら、何をもって「つりあい」は成立したのだろうか。その基準として、特に「民族」に関する個人の認識に重心を置いて検討する。

 分析対象となるライフストーリーの語り手は、2人の在日韓国・朝鮮人三世の男性である。彼らは、「つりあい」を判断して結婚を実践することおよびその経験を語ることという二重の意味で行為者である。それぞれ長男で、民族学校就学経験をもち、在日韓国・朝鮮人同胞女性と結婚しており、インタビューではともに「愛情」と「家族」に言及した。しかし両者の「つりあった結婚」の論理立ては大きく異なっている。本報告では2つの事例を比較するのではなく、「つりあい」を担保する「民族」認識の複数の可能性を確認したい。

第2報告

新聞報道における<家族>言説の変容過程
――「家族のきずな」の位置をめぐって

齋藤 雅哉 (立教大学)

 現在「家族のきずな」が様々なところで叫ばれている。このことは、そのように呼びかけなければ立ちゆかない問題があることを指摘しているように思える。敷衍するならば、いわゆる「公的空間」に登場する様々な社会問題に対して、親密圏としての家族を唱導する、という図式を用意することが出来るだろう。しかし、現代社会の要請としてこの図式をわれわれが全面的に受容する状況であるとするならば、違和感がある。なぜなら、ある社会状況に対する「家族のきずな」言説の流通という図式は、「家族のきずな」の流通による家族問題の発生を引き起こす可能性を含んでいるからである。例えば、現代社会は「家族のきずな」の大切さが一人歩きすることで、「家族」への過剰な感情による介護疲れによる「自殺」や「うつ」の発症、「家族に対する虐待」などの様々な事件が発生しているのではないか、とする仮説をわれわれは持ち得るからだ。

 そこで、本報告では新聞報道における「家族のきずな」と「主婦」、「家族介護」、「児童(高齢者、DV)虐待」などのキーワードがどのような関係性にあり、現在どのような変容の過程にあるのかを明らかにしていくことで、現代社会における「家族」に関する議論がいかなる水準で展開しているのか、そしてそれをいかにわれわれの日常生活と切り結んでいけるかを考えてみたい。

第3報告

物語性≠ゥらの物語論

今川 信継 (慶應義塾大学)

 個人は自らを「語る」ことによって自己を表現し、また他者が「語る」ことを理解して他者を理解し、かつ自己を確認する。「語る」ことは様々な「言説」によってなされる表現である。「語る」ことが様々な状況で積み重ねられていくことによって、「物語」が生まれ、現実世界が構成される。個人、集団、社会それぞれの「物語」が現実を導き出し、また個人が自己を確認することによって現実世界が構成されていくのである。

 「物語」は受け手によっていかようにも理解される可能性を含んでいる。語り手と受け手との「物語」に対する理解の仕方にギャップが大きければ、コミュニケーションにはズレが生じ、距離が近ければ円滑なコミュニケーションが生み出される。

 「物語」を意味づけ、方向づけるものこそが物語性≠ナはないか。物語性≠ヘ個人、集団、あるいは社会全体が抱えている、「物語」理解のための意味づけ、方向づけのための指針である。様々な物語性≠ノよって意味づけられ、方向づけられることによって、初めて「物語」理解によるコミュニケーション状況の分析が可能になる。

 本報告では、これまでの物語論的展開の中であまり分析されることのなかった物語性≠ニいう概念の重要性を検討し、現実世界のコミュニケーション状況をより正確に理解する第一歩にしていきたいと考えている。

第4報告

「当事者の語り」の再考

貴戸 理恵 (東京大学)

 近年、さまざまな社会問題の現場で、「当事者」あるいは「当事者の視点」の重要性が指摘されている。そこでは、状況の定義や意思決定が主として本人ではない人びとによってなされてきた場において「当事者」が「自ら語る」ことの意義が示されている。この動きを評価したうえで、更なる有用性に開いてゆくために、「当事者の語り」を批判的に再考する必要がある。

 「当事者の語り」には、「当事者」の視点を重視する場合と、「語り」narrativeを重視する場合とで、自己の捉え方が異なってくるという内在的な課題がある。自己の主体性を重視する「当事者」論の立場は、「ニーズを持つ主体」としての確固とした自己がまずあり、それが語るものとする。それに対し、「語り」に着目する物語論では、自己は語りを通して構築される流動的なものとされる。

 この相反する二方向をともに求めるなかで、「当事者の語り」は、「当事者とそれ以外の人の線引きをどこでするのか」「当事者の存在を異論を差し挟みがたい別種の権威として出現させてしまうのではないか」といった困難な問いに出会う。本発表では、不登校を事例としながら、そうした困難を致命的な理論的欠陥と見なすのではなく、むしろ「当事者の語り」が必然的に抱え込まざるを得ない矛盾と捉え、上記のような主体把握の二重性の発動を余儀なくさせる状況こそが、「当事者の語り」の困難を作り出していると論じる。

報告概要

水野 節夫 (法政大学)

 第4部会では、‘家族’もしくは‘語り’に関連したトピックを取り上げた4報告を聞くことができた。まず《「似合いの夫婦」を語る論理――在日韓国・朝鮮人三世男性のライフストーリー分析を通して》という表題の橋本みゆき氏(立教大学)の報告では、2組の同胞結婚事例に即して、‘(結婚へと踏み切る)きっかけ’‘後押しの背景’‘「似合い」の根拠’という3点に着目する形で各々の事例の特徴を浮き彫りにすることが行なわれた。次に斉藤雅哉氏(立教大学)(《新聞報道における〈家族〉言説の変容過程――「家族のきずな」の位置をめぐって》)の場合は、1985年代中頃以降流通を始めた「家族のきずな」言説に着目し、〈「家族のきずな(絆)」の用いられ方が、どのような文脈で成立しているのか、という視点から〉量的、とりわけ質的変化の考察がなされている。それに続く今川信継氏(慶應義塾大学)(《“物語性”からの物語論》)の報告では、〈 (1)「物語」を方向づけるもの (2)「物語」の伝達可能性 (3)「物語」の存続・変容可能性〉という3つの性質をそなえ持つとされる‘物語性’への着目の重要性が強調された。最後に、貴戸理恵氏(東京大学)(《「当事者の語り」の再考――「若者と社会のつながり」をめぐる議論から》)の報告では、〈「私につながる誰か」という存在によって規定される「私」〉に焦点化した形での‘当事者の語り’の運動論的可能性が示唆された。

 調査研究者は、‘語り’というこの部会全体に共通するトピックとの関連では‘聞き手’(場合によっては‘読み手’)という位置を占める存在でもあるわけだが、この聞き手の側の主体性という問題をどう考えるか、またどう考えるべきかという重要な問題提起がなされ、各報告者が自分の調査研究を念頭に置きながら各々の見解を披露していた点は興味深かった。

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