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年次大会
大会報告:第54回大会 (報告要旨・報告概要:自由報告 第8部会)


第8部会:福祉・介護  6/17 14:30〜17:00 [西校舎・2階 522教室]

司会:天田 城介 (立命館大学)
1. 障害者社会学から見た物理的現象について 江川 茂 (団体職員)
2. 知的障害の<身体>をめぐる認識と社会関係
――その社会学的考察へ向けて
玉置 佑介 (上智大学)
3. 介護者家族会における支援とは何か?
――認知症介護における「情報・知識」の意味に注目して
 [PP使用]
井口 高志 (お茶の水女子大学)
4. 介護サービスの評価と相互行為としてのケア
――ホームヘルパーへの聞き取り調査の事例からの検討
石田 健太郎 (上智大学)

報告概要 天田 城介 (立命館大学)
第1報告

障害者社会学から見た物理的現象について

江川 茂 (団体職員)

 宇宙子の構造は精神と物質から構成されているが、人間にも知的障害者とか精神障害者とかが存在するような宇宙子の中にも物質だけで出来ている物もあり物質と精神が歪んだ宇宙子も存在するのではなかろうか。原子。中性子。素粒子。陽子。ダークマター。ニュウトリノ。のように物質でありながら反物質そして非物質のように存在する。そのように物質は歪んでいたり物質指数が存在しない。すなわち知的障害者の知能指数が0のように物質指数が存在しないのである。アルツハイマー病とかガンとかのように物質そのものすなわち原子とか中性子とかもガンとかアルツハイマー病のような症状を示す物質も存在するのであろうか。障害者が存在するのはそのような物質そのものが、すなわち原子とか中性子そのものが障害をもっているのではなかろうか。知的障害者から見ると健常者中心の学問とはどのように理解化しているのであろう。健常者中心の学問は障害者の視点からみればどのように映るのであろう。例えば人間が大切に育てている植物の苗の芽の上を平気で歩いて行くというのは障害者にとって見ればただの道路のようなものなのではなかろうか。

 宇宙の果ては反宇宙である。健常者の果ては障害者なのである。人間は原子から構成されているが原子を今の技術では製造できないのである。

第2報告

知的障害の<身体>をめぐる認識と社会関係
――その社会学的考察へ向けて

玉置 佑介 (上智大学)

 本報告は、言語的コミュニケーションが困難な知的障害当事者たちの<身体>をめぐる健常者の認識に焦点をあてる。従来、社会学が障害の問題を中心的なテーマとして取り扱ってきたとは言い難い。ブライアン・S・ターナーは、障害学に欠如している障害の<身体>の重要性を指摘し、「身体の社会学」を障害に関する議論として改めて位置づけなおす試みを行っている。

 また、ターナーの指摘に加えて、知的障害当事者を取り巻く社会環境への社会学的アプローチの少なさを指摘することも可能である。障害学の登場以降、個人に帰属させられていた障害の責任が、社会の側へ、障害当事者の世界を取り巻く社会環境そのものに見出されるようになった。言い換えれば、障害当事者の問題は、社会環境に共在する健常者の認識や障害当事者との社会関係のあり方の問題であり、それは自らの意思を他者へ伝えることが困難な知的障害当事者にとっても同じく重要なことである。

 以上の問題関心のもと、知的障害当事者の水泳指導を行っている人々へのフィールドワークとインタビュー調査から、(1)知的障害の<身体>の認識に関する可能性と困難性を浮かび上がらせること、(2)知的障害当事者の<身体>を媒介とした社会関係や認識がいかに構築され、そして、指導員たちが新たな現実に直面することでいかにそれらが再構築されていくのか、を提示することが本報告の目的である。

第3報告

介護者家族会における支援とは何か?
――認知症介護における「情報・知識」の意味に注目して

井口 高志 (お茶の水女子大学)

 本報告は、介護者家族会における介護者同士のコミュニケーションが、呆けゆく者と付き合っていく過程に対して、いかなる意義と可能性を持っているのかを、考察する。呆けゆく者とは、相互作用の中で認知症(ではないか)とみなされている人々である。

 一般的には、介護者家族会は、共通の問題をかかえる者同士のセルフヘルプ・グループ的な特徴を持っている。そこに参加する当事者や関係者からは、認知症や介護に対応していくための「情報・知識」を獲得する場として位置づけられ、セルフヘルプ・グループ論を参照すると、その意義は、共通の困難をかかえる者たち同士の間での「体験的知識」の生成・獲得として位置づけられることになる。また、特に、認知症ケアの文脈においては、「疾患」としての認知症という知識獲得と理解のための場としてとらえられることが多い。

 以上のような議論に対して、本報告は、複数の介護者家族会へのフィールドワークから得たデータに基づき、「情報・知識」の獲得という観点からだけでは汲みつくすことのできない、介護者同士のコミュニケーションが持つ意義について考察する。また、本報告で見るような介護者同士のコミュニケーションの特徴や意義と、近年の呆けゆく者の「自己」の存在を強調する「新しい認知症理解」の潮流とのかかわりについて、今後の考察課題を含めて提示する。

第4報告

介護サービスの評価と相互行為としてのケア
――ホームヘルパーへの聞き取り調査の事例からの検討

石田 健太郎 (上智大学)

 近年、介護サービスの評価の必要性について議論が活発になっている。先行研究では、費用効果分析や介護予防活動、地域生活の質などについての意識調査から検討が行われているが、これらの研究では効果測定方法の設計上の困難が認識されている。本報告では、このような視点に加え、介護サービスそのものに内在する困難性を検討することで、介護サービス評価の困難性自体を分析的に考える視座を検討したい。

 量的な先行研究があげるホームヘルパーの社会的位置づけや職務の特徴は、低い社会的評価や中高年女性,生計中心者と家計補助者、獲得能力の上位集団と下位集団といったものである。一方、質的な先行研究からは、ホームヘルパーの援助実践の過程(利用者のニーズにそった支援方法や関係構築の方法,問題経験の解消方法)や実践上・組織上の関係者との協調・葛藤などが明らかにされている。また、ケアをめぐる理論的研究からは、被介護者−介護者間への相互行為的な視点の重要性が指摘されている。

 本報告では、これら諸研究の特徴をふまえ、ホームヘルパーへの聞き取り調査から得られたデータの形式や展開されるストーリーを検討することで、介護サービスが、相互の個人的経験にもとづいたサービスの提供と評価によって成立っていることを示す。これらの検討を通じて先行研究間の関係の理解を進めるための一定の貢献ができるのではとないかと考える。最後に、ここでの考察をもとに、ホームヘルパーの労働観についての1つの解釈を提示したい。

報告概要

天田 城介 (立命館大学)

 6月17日(土)の午後に開催された自由報告部会「第8部会:福祉・介護」においては4つの研究報告が行われ、それによって極めて活発な議論が行われた。

 第一報告である江川茂氏(団体職員)の「障害者社会学から見た物理的現象について」は(司会者が理解した限りでは)「精神/身体の物質性」について独自に構想した研究であったが、その「物質性」についてより精緻化された論考が求められているように思えた。

 次ぐ、第二報告の玉置佑介氏(上智大学)による「知的障害の<身体>をめぐる認識と社会関係――その社会学的考察に向けて」では、人々のその都度の「理解や認識の技法」を通じて知的障害者の<身体>のメッセージは解読されていると同時に、その解読は新たな社会関係の可能性が惹起する契機になることが指摘された。

 第三報告である井口高志氏(お茶の水大学)の「介護者家族会における支援とは何か?――認知症介護における「情報・知識」の意味に注目して」は、認知症をかかえる者の「介護者家族会の場」におけるコミュニケーションが認知症をかかえる人の「自己の不確かさ」に対する「解釈活動」を参照前提としつつ個別のリアリティに沿ったものとして形成されることを明示した報告であった。

 最後の第四報告である石田健太郎氏(上智大学)による「介護サービスの評価と相互行為としてのケア――ホームヘルパーへの聞き取り調査の事例からの検討」は介護サービスそれ自体が相互の個人的経験にもとづいたサービスの提供と評価によって成立しているゆえの「介護サービス評価の困難性」について言及した報告であった。

 部会全体を通約する言葉を司会者として用意することはできないが、一つには<自然><身体><言葉><経験>を解読する場に常に作動している政治をいかに考えうるかという問いが、一つにはそうした解読の「是非」についていかなる立脚点に立つかという社会学的において決定的に重要な問いが基調音として流れていたように思う。

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